とまとの推しが尊い

ジャンルごった煮、推しにまつわることを書き連ねるブログ

舞台「A・NUMBER」の感想・考察(ネタバレ無し・有り)


「クローン技術が進み、人間のクローンをつくることは技術的には可能になったが、法的にはグレーゾーンにあたる、そんな近未来。
ある日、自分がクローンであることに気づいた35歳のバーナード(B2)は、父・ソルターに自分をつくった理由を問いかける。

ソルターは、亡くなった実の息子を取り戻したくて医療機関に息子のクローンをつくりだしてもらったと言うが、
実は医療機関ではソルターには秘密で、ひとりではなく複数のクローンをつくっていたらしい。
しかも、実の息子バーナード(B1)は生きていた──

そんな魅惑的な煽り文の舞台、「A・NUMBER」を観てきました!

感想(ネタバレ無し)

戸次さんの!いろんな絶望演技を!たくさん観れる!!!贅沢!!!!

益岡さんの!静かな狂気を堪能できる!!贅沢!!!!

自分を自分たらしめているものは何か、幸せとはなにか…普段は複雑すぎて逃げてしまう質問を直球でぶつけられる感覚。
A NUMBER (of Bernards)の自覚がBernardたちに芽生えた際に何が起こるのか、静かではありながら舞台上のふたりに引き付けられ続けました。
サラッとしているようで濃密な70分間でした。

あとカテコはける時に益岡さんが戸次さんの背中をぽんぽんしててほっこりしました!!!

 

 

感想(ネタバレ有り)

 

 

 

ソルター……クローンを「モノ」扱いするのは悪手ですよ!
B2がふさぎ込むのを見て慌てて良い父親然とした振る舞いをしてたけども…
B1と言い争う時にぽろりと「お前を殺しても良かったんだが…」とか言っちゃうあたりよ……
B2に対して「愛してる」と告げる時の、「本人は本気で言っているけど、人間性が薄っぺらすぎて言葉の重みがゼロ」な感じがあまりにも凄すぎた。
益岡さんの芝居の練度……凄すぎ。

 

そしてバーナード……いいんですかあんなに美味しいお芝居をあんなに凝縮していただいて……
B1はアカン。あれはアカン。子残念が大好きすぎる戸次重幸がそこにいた……。
「正しい」生き方など端から諦めたような悪い大人の顔。
幼児期の記憶が思い返されるたびに現れる子どもの顔。
IMATの青山を彷彿とさせる悪い顔やクイズショウの山之辺の幼児退行がよぎりつつ、父親に振り向いてもらえない苦しみやそれを乗り越えた諦観、厭世観が載った最高にダークなお顔でしたね……。
B1は中年なのに、わざと悪い言動を繰り返して注目されようとする、子どもの部分が全く抜けていない。インナーチャイルドの症状が強く出ているようでした。
犬を処分してしまうくだりなんて、父にされたことをそのまま犬にしているようだったし、B2に「B1の家で会っていたら物置に閉じ込められていたかも」と思われているあたりもソルターから受けた影響が色濃く、虐待の連鎖を感じてぞっとしましたね……。

B2は「よき息子」が父親への信頼を失って、怒りと失望に落ちていく感じが美味しすぎて……戸次さんの失望の演技って本当に本当に魅力的ですよね。キャスティング有難うございます。

いやB1B2の人生気になりすぎる。
B1は4歳で施設に預けられてからは勝手に生きていて、暫く経って父に会って、そこでクローンの存在を知った…という流れだろうけど、B2は?
B2は自分にクローンがいるのだと聞いた時に「離婚したのか」というところを気にしていて、B2に果たして離婚歴があるのか非常に気になりました(聞き逃しているだけかもしれない)。
B2ってどんな仕事してきたの?窓がひとつしかない部屋に住んで、ちょっと物を散らかし気味だったらしいけど、それって元から一人暮らし?それとも、離婚して一人暮らしをはじめた?
バーナードたちの送ってきた人生を知りたすぎるよ…!!!!!!

 

そしてB2の死に方も気になりすぎる…。
B1がB2と「同じ列車に乗って、ずぅーっと一緒に行って…」と振り返る言葉(と父親の困惑したような「おぉ……おぉ?」)で幕が切り替わったところがかなり強烈でしたが、あのシーンの意味はなんなんだろう。
ソルターがB1に「銃で撃った」と言った時にB1がびっくり?していたのも気になる。
B2はB1に殺される予感がしていて、「自分の人生が彼のコピーでしかない」ことにも気がついていて、「結局本当の自分を愛してくれる人がいないなら、殺されても構わない」と思いB1の追跡を許したのかもしれない。
「同じ列車に乗って、ずぅーっと一緒に行って…」が意味するところは、"ふたりとも父親からの愛を求めていたけれど、その欲が満たされることはないまま終着駅まで行った(=死ぬ)よ"ということなのかもしれない。
なんてことない台詞なのに、妙に心に残る語り口でした。

 

それにしてもB1とB2、本当に不憫すぎる……
B1は「自分は捨てられた、父親が見ているのはB2だけ」と思っているし、
B2は「自分はB1のコピーにすぎない、父親が見ているのはB1だけ」と思っている……
父親が見ているのは"完璧なバーナード"は0歳の彼であり、「息子によくしてやった」自分……B1もB2もあんまり眼中にない……
シンプルに地獄!
だからこそ戸次さんの絶望演技が光りまくる!!!!美味しい!!!!

 

あと奥に吊るされていた様々な洋服たちが、ゴミ袋に詰められて、最後跡形もなくなっていたのが示唆的でとても良かった。
父と息子を照らす光もすごく雄弁でよかった。
音楽も不気味でよかった。
すべてがよかった。。

考察

第5幕で、父・ソルターは、息子のクローンに「もっと個人的なことが聞きたいんだ」と尋ねたが、あの時彼は一体何を答えて欲しかったのだろうか。
「クローンに生まれてきたことを恨んでいます」?
「あなたのような父親が欲しかった」?

幕が降りた瞬間、そのことを考えていました。
ソルターは一体、何がしたかったのか。
ソルターは一体、何を求めていたのか。

※この感想は、パンフレットを読んでいない人間によって書かれたものです。

生まれたばかりのバーナード1は美しく、誰の目から見ても「完璧」だった。
しかし、それがソルターの妻の自殺、およびソルターの育児放棄・虐待によって、完璧とは程遠い存在へと変貌していった。
そこでソルターはバーナード1を施設へ放り出し、遺伝子のみを取り出してバーナード2を手にし、育児をやり直した。
絵本を読んでやったり、ベッドルームで泣き叫んでいたら駆けつけてやったりと、「よくしてやった」おかげで、バーナード2はうまく育った。

ただ、ソルターが好きなのは、あくまでも0歳頃のバーナードなのかなぁ、というのが初回の感想。
バーナード1は「問題児」で、目も合わせたくない。
バーナード2は「よくしてやった息子」であって、大事にはしているけれど、自分のすべてを捧げるほどの存在ではない。例えば、B2がソルターの言うことを聞かずに国外逃亡しようとした時、「行くな」と言いながらもB2が少し反抗しただけであっさりと引き下がって強く引き止めることはしなかった。
結局、自分の言うことを聞いてくれる、見た目の完璧な息子が欲しかった…というところか。

ソルターが見ていたのは、常に自分だった。
バーナード2に「よくしてやる自分」を見ていた。
その目には、バーナードの姿など映っていなかった。

 

マイケル・ブラックは、息子を失ったソルターに問いかけられて、妻を愛していること、ずっと一緒に過ごしているから写真を取る必要がないほどに子どもたちと充実した時間を過ごしていることを告げる。
このシーンがもつ、静かな衝撃が強かった。
「マイケル」のいう「自分の話」というのは、「自分が好きな食べ物、自分が面白いと思った雑学」、「教師をやっていること」、そして「妻や子供たちとの関係性から浮かんでくる話」なのだ。

マザーグース

女の子って何で出来てる?
お砂糖にスパイスに
素敵なものぜんぶ
そんなもので出来てるよ

なんていうフレーズがありますが、「自分って何でできてる?」と聞かれたらなんて答えるでしょう。
本作におけるその答えは、「自分が興味をもったこと」と「自分自身が選んだこと」と「自分が付き合うことを選んだひとたちとの関係性」なのでは…などと思ったり。

もちろん、遺伝子はアイデンティティの重要なファクターではある。
遺伝子は選べない。肌の色も、身体についている性器も、自分では選べない。
でも、自分が何を面白いと思うか、自分が何をしたいか、自分が誰と付き合いたいか、というのはある程度は自分で選ぶことが出来る。
遺伝子は親から受け継いだものである。
マイケルの遺伝子は、半分ソルターのものだ。
しかし、マイケルの「アイデンティティ」には、ソルターは含まれなかった。

マイケルの言葉をどこまで言葉通りに受け止めていいかは、微妙なところです。
「普通」に考えれば、両親が存在しないことによる苦悩がきっとあったはず。それを「人間とレタスは30%も遺伝子が同じだ」なんて言って必死に明るく振る舞おとしている…と考えることだってできるかもしれない。
自分がクローンであることが科学的で面白いだなんて、「普通」は思えない。
ソルター 、あるいは、私のような観客は、「あなたの送る人生には苦痛が伴う」と思ってしまう。クローンとして生きる苦痛を、それまでの幕でいやというほど見てきたから。
そう考えると、マイケルはソルターに自分の幸せな人生を見せつけるためにわざと芝居を打った…とも思える。

しかし、これは自分が「クローンで生まれてくるなんて可哀想」と心のどこかで思っているがゆえの、先入観による考えなのかもしれない。
誰かの遺伝子をコピーされて自分が生まれてきたとしても、自分が育っていくなかで得た知識・記憶、仲良くなったひと、自分が得た地位、大切なひととの記憶はすべて本物であって、誰のコピーでもない。
マイケルは本当に幸せなのかもしれない。
(……確かに、新技術が浸透していく時、世界のどこかで誰かがそれをはじめに享受し、受け入れ、その良さを広めているんですよね。マイケルはクローンとして生まれてくることを喜ぶタイプのクローンのさきがけなのかも……)

そう考えると、自分の人生が幸せかどうかを決めるのは、自分の物事の捉え方と、自分のおこしてきた行動…といえるのかも。

 

 

すごく手軽に観れて、教訓っぽくもなくて、それでいてじわじわと重たいものを受け取った感覚になっていく…上質な舞台でした!