とまとの推しが尊い

ジャンルごった煮、推しにまつわることを書き連ねるブログ

LOOSER2022感想と考察

ネタバレなし感想

LOOSER2022、面白い。
映像作品として挑戦している部分が楽しいし、最近の情勢とも相まって味わい深いのでおすすめです。コミカルとシリアスのバランスもよい。

TEAM NACSをご存じない方にむけてあえて言い方をするならば、
「カメレオン俳優・安田顕の桁外れの演技力、魅力的すぎる散り姿」
「芝居の化け物音尾琢真の控えめながら奥深い芝居」
「ニチアサで仮面ライダーベイルを演じた俳優と大河ドラマ源頼朝を演じた俳優が己の思想に基づき刀で闘うという豪華さ」
を堪能できるんです!
普段TEAM NACSの舞台のチケットが取りにくいことを考えれば、この機会を逃すのは勿体ない。

LOOSER=日常をただ生きているだけの現代人、が幕末にタイムスリップして、当時の侍たちと関わり合うなかでどう変わっていくか。
アラフィフの俳優さんたち5人の持つ渋み、色気、間のとり方の妙。
25年間共に芝居をし続けた彼らの息の合い方に虜になること請け合いです。

ということでチケットはこちらから↓
https://liveviewing.jp/looser2022/

ネタバレあり感想

LOOSER2004の熱さが好き。ほとばしる汗と涙が好き、心の奥から揺さぶられる感覚が好き。
腹の底から絞り出される叫び声と照明と音楽に、思わず鳥肌が立つエンターテインメント性が好き。
LOOSER2022の緩さが好き。若い頃に燃えた人たちが纏う渋みのある色気が好き、目元・口元の繊細な演技が好き。
話の展開をごく自然に見せる実力の高さ、そこにたどり着くまでの努力が滲んでいるのが好き。

 

いやぁ……大人の色気って、こういうことなんだなぁ……とただ惚れ込んでしまった。
この5人、芝居がうまくなりすぎでは……???いや、舞台のお芝居と映像のお芝居は別物だから比べるのも違うかもしれないけれど……寄りになった時のまなざしとか息遣いがプロすぎて脱帽……画面から魅力が溢れて溢れて…………はぁ…………

 

私はアラサーなので(?)まっすぐ、愚直なまでに「互いの正義のために戦うことの苦しさ」「社会のために個が命を落とすことの虚しさ」を突きつけて、演者が腹の底から叫びまくるハイカロリーな2004が大大大好きで。
だからこそ、主眼が「世界・社会」から「自分の生き方」に変わって、全体としてメッセージ性に引っ張られない感じに変化したのが、こう、大人の余裕を感じました。
「歴史に名の残らない者によって歴史が守られる」という構図や「熱い侍たちに感化されて人生を生き生きと進む現代人」というところはそのままに、「何もなかった男が命を捨てて歴史を守り抜く」ことで戦の苦しさをまっすぐ示し正面から問題提起した2004とは異なり、「他人の人生を捻じ曲げることはしない、自分が満足できる生き方で生き抜く」選択をした2022。
どちらも味わい深くて好きです。噛めば噛むほど味と深みの出るスルメ作品。
(あの、私2004の拷問シーンでの龍馬→土方豹変演技が大好きすぎて、これ2022の大泉さんでも観たいんですけど、どうやったら叶いますか??石油王になるしかない??そうですね……)

 

好きなシーンが多すぎて語ることが難しいので好きなセリフだけ……。
森崎さんの「総司は、道具ではない」
安田さんの「お梅……寝たのかい? お梅よぉ……」
戸次さんの「そんなことはさせない」
大泉さんの「それより貴様……この国の未来を、不用意に語ったな」「ちっぽけな人間だなぁ」(藤堂平助はネタキャラのMVPでした)
音尾さんの「やっぱり、やめましょうよ」

いや……いや全部好きすぎた……5人の芝居が好きすぎて狂う……これからも末永く箱推しさせてください…………

 

※子猫的ワンポイント 
それにしても謎の男、芹沢さんを斬ったあとにこっそり苦しそうな表情されてるのがツボで……。未来の家族を守るためなら歴史を変えていい、かつての人間たちの生き死にを決めていいと覚悟をしたつもりでも、やっぱり生身の人間を斬って命を棄てた時の痛みは重いですね……。それにしてもこういう冷静めな黒泉さん珍しくて美味しかった……実写版東京喰種の真戸さんを擦り倒している私にとってご褒美のような役でした……


考察

TLでちょこちょこ考察されてる方がいらしたので触発されて私も考察してみる!

 

この世界では「特殊な時計を使えば時空の歪みを生み出すことができる」、「時空警察は歴史改変者に悟られないように動き、歴史の改変を阻止している」。
時空警察は歴史を変えようとする人物が現れると即座にStageを作りあげ、歴史上の人物たちを「役者」として召喚。歴史改変者を登場人物の一人として召喚し、歴史改変を時空警察の掌中で行わせ、秘密裏に修正する。

 

謎の男と佐藤、ふたりとも時空の歪みに取り込まれたのに、見えているものが違うということは、Stageはあくまでも謎の男に”自分は歴史を改変している”と認識させるためにあると考えました。
謎の男は
・佐藤の正体を聞く時に「この時代の人間でもない」という言葉を使っている(セット・黒子・役者などに言及しない)
・「幕末のこの時代に身を投じたのだ」と告白している
・役になった佐藤を佐藤と見抜けなかった
ことから、謎の男にはこのセットが本物の幕末の世界に見えているのだとわかる。
だからこそ、佐藤がはじめて現れて「マネジメント」などと言い出した時は、自分の計画を阻止しようとした未来人が追って来たと本気で思って斬ろうとしてるのかなと……(あそこの怪訝な目からの刀構え土方さん最高に怖くて好き……。いやあの目の演技なに?天才的すぎるんだよ……)
シゲはたまたま謎の男の通る鳥居とStage13の間に居たから巻き込まれただけで、時空警察と同じ立ち位置で時空を把握できている。だからこそ冒頭でなんどもセットや黒子の存在にツッコんでいるといえそう。

いやぁ、決死の覚悟で時空を超えた謎の男と、生き甲斐もなく巻き込まれただけの佐藤、対比がたまりません。


時空警察(黒子)は歴史が変わらないようにすごく気をつけていて、シゲが謎の男に斬られそうになった瞬間も時計を使ってシゲをワープさせることで山南の予期せぬ死を回避している。この時計は時空警察が作ったものなのかな?
謎の男は未来でなんとか過去を変えたい!と色々動いて、なんとか時計を入手して、未来に戻れる見込みが無いのに幕末に身を投じようとした

急いで時空警察がStageを作って、時空の歪みをStageに引き寄せた

謎の男がStageに召喚された
みたいなことだと思うのだけど、斬られてしまった謎の男はどうなってしまったんだろう……Stageの中で死んじゃった……?泣
最後まで家族構成も半生も分からないまま散っていったのが「大いなる歴史の前に一人の人間は無力」という感じがしてよかったです。

見返してみると、本作の冒頭、「木村組、撮影開始致します」というセリフとともにStage.13の文字が映っている。これは本作自体が時空警察の目線でつくられたものということで……色々分かった状態で最初から見るのめちゃ楽しい!

1週間フルに楽しみまくります!面白い作品をありがとうございます!!よい26周年目を!!!!!!推したちが平和にすこやかに過ごせますように……!!!!!

five goes on .....

イナダ組舞台「ライナス」の感想と考察

 

ずっとずっと観たかったライナスを!ようやく!!!観ました!!!!!!!!!
いやぁ……………ボディブロー喰らいました…………
頼む、観てくれ……この大泉さんが世間に見つかってくれ…………凄い役者さんなんです……本当に…………もの凄い才能の塊なんです……………………

ライナスとは、2003年に上演された、劇団イナダ組による公演です。
舞台は、ある男が中学生の夏休みの出来事を思い出すところから始まる。両親が離婚し、母親が他界してしまった主人公は叔母のもとで暮らしていた。とある夏、彼と姉は、長いこと会っていなかった父親に突然「一緒に暮らそう」と言われ、上京する。そこで彼らを待ち受けていたのは、女性の格好をした父親だった―。

ネタバレなし感想 

苦しかった。登場人物たちの苦悩がリアルで、心がひりひりした。
現実はドラマみたいに上手くいく訳じゃない。
それでも、救いはある。
自分と、周囲と、ちゃんと向き合った先には、一縷の望みはある。親との向き合い方、子との向き合い方。自分の周りで生きているひとたちとの向き合い方。そして何よりも、孤独との向き合い方。これはきっと、一生考え続けなければならない話だと思う。

たっぷり笑って、胸が詰まって、彼らの人生をぎゅっと投げつけられた感じで、ずっしりと胸に残りました。
※子どもへの折檻の描写はありますが、そこまで直接的なシーンはありません。ただ、経験がある方にはフラッシュバックのきっかけとなりそうな台詞がありますので、そこは少し注意かも。


なによりもまず、大泉洋さんの演技。

春夫が、そこに居るんです。
どうか、どうか……観てほしい。
圧倒されてほしい。

主人公の父である春夫は、「女」として生きることを決意して離婚し、主人公の元を去った。そして、10年ぶりに再会した時、春夫は”春ちゃん”になり、完全に女性としての装いをしていた。

春ちゃんの表情。春ちゃんの声。
笑うところはちゃんと面白くて、
スナックのママのファンになって、

そして、

胸を抉られる。

今や国民的俳優である大泉洋さんは当時30歳。あの時から既に圧倒的な才能を放っていたのだな……と知り、札幌に住んでいなかった自分を悔やんだ。悔しい。劇場で観たかった。

とにかく、大泉さんが演じる春夫が、美しいんです。

いや、何を言っているんだと思われるかもしれない。
サテンの寝間着を着た大泉洋、女性もののジャケットを羽織って白い膝丈スカートを履く大泉洋、それは"面白い"のではないかと。

確かに、客席からは笑いも起きていた(2003年当時、「オカマ」が笑いのアイコンとして認識されていたという背景もあるように思う)

しかし、私は全身に稲妻が走ったような衝撃を受けた。ひたすらに美しいのだ。

そこに居たのは、女性だった。

すらりと長い手足のおかげなのか、少し陰のある化粧のおかげか。勿論それもあるが、それだけではない。
細やかな所作。目線のやり方。そのどれもが、しなやかなのである。そしてそこに、「女」として生きることを選んだ男の苦悩と覚悟が、色気として醸し出されている。「オカマちゃん」の話し言葉がなんとも可愛らしくて、でも「あなた、苦労したのね」と声をかけられて目を伏せてしまうような翳もあって……。色気のかたまりのようなひと。

この美しさ、色っぽさを知らずに俳優・大泉洋を語ることはできないように思う。彼にはこんな引き出しもあるのだと知ってほしい。どうか。

まだ「大泉洋は何を演じても大泉洋」と思っている人に心から同情する。いや、これからこの衝撃を味わえるなんてむしろ羨ましい。

凄いぞ、この役者は。

 

そして、森崎さんの抑えめ(かつちょっとクズ)な演技、音尾さんの身勝手な中年男の演技、美味でした。アイドルを探せ!でも思ったけど、森崎さんが控えめな演技をすると、声が色っぽくて素敵。タバコを燻らせるシーンなんて、こりゃあ春夫が惚れるのも仕方ないわ……と説得力しかない絵面。
あと歌唱シーンが最高に面白くて魅力的なんですよ、私達の大好きなリーダーがそこに居る。

音尾さん、当時20代なのにどうしてあんなに貫禄が……?音尾さんの焦る演技、好きなんですよねぇ。目元に惹きつけられる。あと「もっと強いお酒ちょうだぁい?」が可愛すぎるので小魚さんは是非観ていただきたい……あざといぞ音尾琢真…………好きだ…………。

江田さんの演じる少年も良かった。少年の行き場のない目線が、とてもリアルだった(しんどかった)。
Jさんの演技もよかった、ジュンさんと竜一の絡みがこの舞台の救いだったから、たっぷり笑わせてくれて嬉しかったな。茶目っ気のある表情が印象的だった。
庄本さんの演じる叔母さんも味があって可愛かったな。

あとメイキングで楽屋の鏡に貼ってある「ガンバレよ」っていうシゲさんのお写真が可愛すぎるが!?!?

ネタバレあり感想

 ネタバレしてます。

 

 

まずなんといっても歌唱パート。

大泉さん演じる春ちゃんの歌、愛しさと切なさとのハイブリッドが凄い。愛しさと切なさと可愛らしさと。最強……。

全人類聴いて。頼む。純粋に歌が上手い……また歌う役来てほしいな……『子どもの事情』のジョーも最高だったもんね……頼む……。

あとなんといってもリーダー!!!!!!!!いやこれはずるいじゃん!!!!!!!!タバコ吸って大人の余裕崎博之かと思ったら、グラサンで決める声でか崎博之とかもう笑うしかないじゃん。最高笑うじゃん。好きじゃん!!!

てっちゃんのグラサンかけて楽しんでるはるちゃん、最高にカップルって感じで良かった……。

いやスナックのドタバタコメディほんとゲラゲラ笑えて最高すぎる。ラブ……。

 

で、後半。

いや…………しんど…………。
これ親子関係に悩んだことある人には尋常じゃないくらいに刺さりませんか。心臓止まるかと思った……。

竜一のお母さんが「散々殴って暴言浴びせた後でコロッと態度が変わる」タイプではなくて、ただ人生に疲れて余裕がなくなっていたタイプの親だったあたりが救いだろうか……いや全然救いじゃないけど……。

母親にされた酷い仕打ちだけぽっかり記憶失くなってるあたり恐ろしい程にリアルだし……。「折檻されてた」という記憶が蘇る時と、それを踏まえて独白する時の竜一の表情が最高すぎた。音尾さん、好き。

あと「母さんの嫌いなとこだけ忘れようとすると、楽しいことも全部忘れちゃう」って、自分でも整理がついてない竜一少年の声がすっっっっっっっごく良かった。苦しかったね……。

そしてそこでの「父さんが出てった後、陽子がお前を?」「父さんのせいでお前は……」ですよ。

"春ちゃん"がこの舞台で唯一、"春夫"に戻る瞬間。

竜一は父親を欲していた。そして、春夫は父として彼を抱きしめた。

あのシーン、鳥肌がえげつなくてもうノースリーブの服一生着れないかなと覚悟した……。
春夫は個人として、「女」として生きたいから"普通"の結婚生活から逃げてしまったけど、それでも"彼女"は親なんだよね。
逃げ出してしまった春夫の選択は正解とはいえないし、実際に竜一たちも春夫のことを許している訳じゃない。
それに、竜一が40代になるまで母親に受けてきた仕打ちの記憶を失っていたことからも、春夫との共同生活で過去の傷を乗り越えられた訳ではなかったことがわかる。まぁ短期間で10年の溝は埋まらないよね……。

それでも。あの瞬間。竜一が、親を求めていたあの瞬間。春夫は親として、彼を抱きしめた。

そして、ずっと封印していたその記憶を思い出して、やっと、竜一は親としての春夫と向き合えるようになったんだよね……

……いやぁ、愛おしいな……。

 

個人的ベストシーンは春夫の「行かないでよ!!!」ですね……あそこの感情の爆発させ方、大好きだ……。インタビューではあそこの感情の作り方が難しかったっておっしゃってたけど……本当あのシーン好き……。あの演技をしてくれてありがとう……。取り乱すときの苦しそうな顔も、声も、素晴らしすぎて……。徹男に女として必要とされたい自分と、子どもたちに親として必要とされたい自分、ごちゃまぜになって不安になって、ぐちゃぐちゃになってしまった心の悲鳴が胸に刺さりすぎて失血死です。

 

あとジュンちゃんの「オカマの恋は難しい、形がないから。その愛しか信じられるものがないから」が切なくてぐっときた……。普段おちゃらけてみせてる人の本音って、刺さりますよね……。

考察

「ひとり」ということ

 このお芝居で重要になるのが「ひとり」という概念。
「ひとりきりじゃ哀しいじゃない」と子どもたちと再会する春夫。「押入れの中だけが、誰にも邪魔されない、ひとりだけの世界だった。この場所が、いちばん安心できた」と過去を振り返る竜一。「ひとりで生きていく」と早くから覚悟を固めていた千明(竜一の姉)。「妊娠した子はひとりで育てる」と啖呵を切るまなみ(竜一の娘)。

この芝居で、「ひとり」は、誰かが覚悟を決めなければならないときに必ず出てくる概念である。

そして、本当は誰も「ひとり」になりたくないことを、強烈に突きつける。

春夫は徹男に「行かないでよ!!……ひとりにしないでよ……」と縋ったけど、あの台詞は全員の台詞でもあるのだと思う。

千明も竜一も、本当はひとりになんてされたくなかった。
中学生の時の竜一は「母さんと姉ちゃんと暮らしてたときだって、ひとりだった」「誰もぼくのことなんてどうだってよかった」と叫び、父親となった竜一は「俺はひとりでやってきた」と叫ぶ。
父親である竜一の言葉には、子どもの頃の竜一の声が重なる。どんな大人だって、こどもなんだな……とぼんやり考えてしまった。

そして、竜一の母も、言葉にこそしなかったけれど、「少しはママの気持ち分かってよ!」と理解者が居なかったことを仄めかされている。
彼女も、「ひとり」だったのだ。(ここの棚田さんの表情、素晴らしかったな……)

「ひとり」は、死の匂いがする。
誰にも心の内を明かさない、明かせない状態は、その人を追い込んでしまう。追い込まれた先にあるのは、「終わり」である。
強がらず、背伸びせず。誰かの迷惑になってしまうからと、口を閉ざさず。思っていることを正直に言う。その思い切りと勇気があれば、ひとは生きていけるのだ。

親子観・家族観

 上の章とも繋がる話ではあるが、このお芝居では、「相手の心のうちをしっかりと見つめること」「自分の心のうちをはっきりと伝えること」が家族なのだ、親子なのだと呈示される。

徹男が何度も竜一の父親のようだ、と言われるのは、徹男が「竜一くんはそれでいいの?」と何度も尋ねてくれるからである。
母親も父親も叔母も姉も、皆自分のことで精一杯で、竜一の意見をしっかり聞かずに動いてしまう。そんな中、事あるごとに竜一自身の心のうちをしっかりと覗いてくれたのは徹男だった。

それに比べ、春夫はずっと自分のカミングアウトに苦心し、子どもとの距離感に絶望して、対話を試みる前に感情的な行動を取ってしまう。これは「こども」性にフィーチャーしていると読み取れる。

ラスト、竜一が何を考えていたのかをしっかり聞いて、竜一を抱きしめた春夫は、あの瞬間、ようやく親としての一歩を踏み出したのだと思う。

そして、そのことを思い出した瞬間、竜一もまた、ようやく親としての一歩を踏み出したのだと思う。

親だってひとりの人間で。自分のことに精一杯で。それでも子どもを育てる義務はあるし、子どもと向き合うことが求められている。春夫も、竜一も、千明も、陽子も、みんな不器用で、みんな向き合うのが下手くそだった。心を打ち明けて乗り越えなければいけない時に、壁をつくって「孤独」に逃げた。この作品は、そんな彼らの心の壁に少しだけヒビが入る話なんだと思う。

親子関係の歪みをなおすことは難しいし、多分本当に完全に正せることはないのだけれど。対話によって、一歩ずつ、一歩ずつ、地道に歩み寄ることが解決策。その光を教えてくれる作品だった。


あと、いくら親子であることを捨てようとしても、親子の繋がりは消せないのだというのも重かったな。
虐待を受けた子どもが親になったとき、その子どもに虐待をしてしまう。それは、心が屈折してしまった結果、暴力がコミュニケーションの手段になってしまうことが一因にある。言葉が出てこないから、代わりに手が出てしまう。哀しい。

竜一の場合、負の連鎖から抜け出せるきっかけをくれたのは奥さんの「あなたは、どうして思っていることをはっきり言わないんです?」とジュンちゃんと飲み明かした夜で。竜一はひとりでやってきたつもりだったけど、あんなに心根の温かいひとたちに囲まれていてよかったなと思う。ここからそのことに気付いて、たくさん恩返ししてあげてほしい笑

克服するのは難しいかもしれないけど、ひととの向き合い方のコツを思い出せた竜一なら大丈夫。そうであってほしいな。

ブランケット

このお芝居で最も重要な小道具はブランケットである。
竜一がそばに置いて離さなかったブランケットは、父親なのだ。

春夫が離婚前に使用していたそれを、竜一は中学生のときに手放さなかった。現実で母親に当たり散らされても、ブランケットの中にうずくまれば、そこは守られた世界だった。
陽子がブランケットを「臭い」と罵り、竜一から取り上げたシーンと、春夫が「ずっと大事にしてくれてたんだね」とブランケットを竜一に手渡したシーンは、完全に対比になっている。

タイムカプセルにブランケットを入れていたことを最後に竜一が思い出すことと、春夫が父親として支えようとしてくれたことを竜一が思い出すことは、完全にパラレルになっている。

スヌーピーの登場人物でいつも毛布を握りしめている"ライナス"のように、ずっとブランケットを手放せなかった竜一。彼が春夫と再会し、ブランケットをタイムカプセルに埋め、それから現在まで、"父親"はいなかったけれど。というよりも、いないと思いこんでいたけれど。そのせいで、ずっと「ひとり」で生きてきたつもりでいたけど。本当は勝手にひとり心を閉ざしていただけで、ひとりじゃなかった。そのことに気づけた竜一は、きっと父にも娘にも思っていることを正直に言って、歩み寄るんだろうな……。よかった、思い出せて。

 感想というか叫び足りなかったので叫んでもいいですか?

春夫さんが妖艶すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!し!!!!!可愛すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ひとりじゃ抱えきれない!!!!!!!!!!!!無理!!!!!!!!!!!!!!


ご本人が「僕の身体はプロポーションがいい、セクシーである」と自負されていますが、それを最大級に活かしてくださっている……スタイリストさん……有難う……春ちゃんに指輪とブレスレットとネックレスとイヤリングをありがとう……輝くサテンの寝間着をありがとう……白いタイトスカートをありがとう…………なんでこんなに色っぽいの!!!なんで細いウエストをベルトで強調するの!!!!ねぇ!!!!!世界!!!!!
ていうか春ちゃん、スカートたくしあげちゃダメ!!!!!セクシーな太もも晒しちゃだめ!!!!!!鼻血でちゃうでしょ!!!!!!!!やめて(やめないで)!!!!!!

あとママの歌唱シーン入れてくれてありがとうございます!!!!!!!甘いボイスが素晴らしくて歌詞がちょっと切なくてもうもうこれ以上ないくらい大泉さんの良さが詰まってますごちそうさまです!!!!!歌い終わった後に茶目っ気たっぷりにウインクするママ、好きだ……経営思うようにいかないなんて嘘だよ……ママのファンだよ……大好きだよ通うよ……

 

いやどうしても見た目の色っぽさの話になってしまうんだけど、でもその美しさは春夫の中身由来のものでもあるんですよ。
子供が怒りに任せて春ちゃんを「汚いオカマ」って言うときに、「汚いオカマよ」って肯定するシーン、ぞっとするくらい美しくて卒倒するかと思った。
人間の美しさって、その人の覚悟が見える瞬間にぶわっと放出されるものだと知った。
メイクが崩れてて、取り乱してて、それでも自分の道がある人間の美しさを、画面越しにも伝えてくれた。あの演技をしてくださった大泉さんに感謝が止まりません…………。
大泉洋さん!!!!!!!!!!!!!!!好きです!!!!!!!!!!!!!!!あなたのお芝居が好きです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!演劇の道に進んでくださってありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

……語彙力がなさすぎて感謝の大きさをビックリマークの多さでしか伝えられないオタク。無力。

いやぁ……春ちゃん、女として生きたいと思って子育てほっぽりだして、それでもやっぱり子どもと暮らしたがって、不倫もして……と、かなり我儘だと思うし、いろんなひとたちを散々振り回したダメなひとだと思うけど、あんまりにも可愛らしくて切なくて抱きしめてあげたくなっちゃったな……よく頑張ったね……ラストでも女性の格好をしていて、「あなたはずっと、あなたらしく生きられてよかったね」と思った。竜一の娘が18くらいになるまで、あなたはどんな生き方をしてきたのだろうかと思ってしまうけど、それでも、最後にあのバーの電話を取ったってことは、細々とあのお店を続けてたのかな。苦しかったと思うけど、自分に嘘をつかずに済んで、よかった。

春ちゃん…………扇風機のスイッチを切る間が笑いのセンスに溢れていた春ちゃん…………。大泉さん演じるキャラでランキングしたらかなり上位に食い込むな春ちゃん……。なんて魅力的なんだ…………。弱くてだめなところも人間らしくて愛しいよママ……どこに行ったら会えますかママ!?!?金回り厳しいの!?!?いっぱいお酒飲みに行くしいっぱい話聞くよママ!!!!!!ひとりじゃないよママ…………

インタビューで10、20年後、春夫と実年齢が近くなったらまた演じてみても面白いねとおっしゃってくださった大泉さんに春ちゃんのような役がまたオファーされたらいいな!!!!!!!!いや最近の色気たっぷりの大泉さんがこういう役やられたらもう地球が爆発する気がするけど!!!!!それでも構わない!!!!!!映画界・演劇界の皆様!!!!!!!!!!!!!!!!!どうか!!!!!!!!!!!!!!!!!頼みました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

舞台「マスターピース」感想と考察

 

ネタバレばかりなのでご注意を。

 

 

大阪公演→東京公演→配信、と3回観た感想 

 

東京公演では

マギーさんの「ラブレター」効果、すごい。大阪公演で感じていた違和感とかチグハグ感がかなり消えていて、ものすごくシームレスなお芝居になっていた。そして笑いどころも増えていた!!話の大筋は同じなのに、ちょっとしたセリフとか表情でここまで分かりやすく、面白くなるんだ、お芝居は生物だって、こういうことなんだ。改めてその奥深さに感動しました。

ハプニングで大泉さんが脛をぶつけて台詞言えなくなって「……大丈夫?」って聞かれて芝居止まってたの、個人的にはちょっと嬉しかった。あ、これお芝居なんだ!目の前で、生で世界が広がってるんだ!っていう興奮を味わえました。本気でふくらはぎを抑えたりさすったりしてる大泉さん、可愛かったな……(息ができないくらいの激痛だったそうです……)

という感想でした。
今回配信を観て思ったこと。 

札幌公演、ホームだからかお芝居が生き生きしていて楽しかった!!枕投げシーン最高に可愛かった……


東京公演と比べて、芝居の緩急とかテンポが物凄く良くなっていてびっくり。どこまでも芝居の精度が上がっていく5人組、凄いなぁ……。今回、雑誌の取材でみなさんの向上心が高まっているのをひしひしと感じたのですが、本当にすごい。魅力的なおじさまたち……。
諸澤さんの楽観っぷりと諦観っぷりとか、猫屋さんのぽんこつっぷり、茶山さんの振り回されっぷり、灰島さんの奥手っぷり、高田さんの聡さ……。それぞれのキャラの魅力が、回を追うごとに増していた。

カーテンコールはホントに楽しくて、5人の想いが伝わってきて、ぼろぼろ泣いてしまった。
桜吹雪の量がエグすぎて爆笑だったけどw

私はとにかく猫屋さんと乙骨さんのペアが好きだなぁ……続けることを諦めた男と続けてしまう男。光と陰のように見えて、実は陰と光の組み合わせ、っていうのが美味しい……。どちらかが凹んだ時に、もう片方が背中を押してくれる。いい関係性ですよねぇ……。

 

とにかく安田顕さんの大ファンになってしまった。毎回、舞台を反芻するたびに「あの俳優さん誰だっけ、ほら、あの、高田さん演じられた女性……あれ、待って、安田さんだわ。待って?あれ?あれ、6人居なかった?あれ、いや、うん、ごめん5人だわ、NACSは5人です」ってなるんですよね……。がむしゃらで外見には無頓着な乙骨さんと聡明美麗な高田さんがどう両立しているのか、意味わからんすぎる。世界の神秘。世界ふしぎ発見!
いやBIB拝見したときも役への入り込み方凄ぉ……って感動してたんですけど。なんかもう、今回で完全に圧倒された。

 

本公演の考察

 

開演前に映画音楽が流れる

最初に映画が始まるブザーが流れ、数字のカウントダウン

チームナックス25周年記念」という投影

途中に何度も日本語の文章での説明が入り、猫屋さんが活動弁士のように喋る

最後もフィルムで締まって、ラスト、暗転して映写機が止まる音がする。

やはりこのお芝居全体がひとつの「映画」である、ということは間違いないのだと思いました。
私達観客は、「映画」を観る「観客」になっていて、私達が最後に拍手をすることで、「マスターピース」という「映画」が完成する。

この「マスターピース」という映画は、
A「『侍』というタイトルがついている、灰島たちが書いた映画」の物語(虎之助とお花の恋物語)

B 灰島たちの奮闘記(灰島と高田の恋物語)
とが混ざりあった映画。
総天然色で、ラストの桜がぐっとくる、題材が戦争でない、笑えて胸に来て、ちょっぴり苦い映画。私たちが日常生活で感じる、「好きなことを続けることの楽しさや苦しさ」を代弁してくれる映画。私たちが置き去りにした淡い恋心を拾いあげてくれる映画。

Aは、七人の侍を観た彼らが熱海に再び集まり、今度こそ企画が潰れずに書き上げた映画なんですよね。最後、Aのラストシーンが「上映」されているってことは……!乙骨さんの書いたものが、ちゃんと日の目を浴びたんだね!!!!乙骨さんよかったね!!公開されて!!!疫病神引き連れてても一緒に書いてくれる仲間がいてくれて!!!!
ラストで「また五人の侍が集って」って言い方されてて、脚本家は「刀をペンに持ち替えた侍」っていうのがスッキリと示されててよかった!し、やっぱりこの五人でチームなんだねって伝わってきてグッときた。いつの間にか友人になってるし……私友情モノに弱いんですよ……はぁ……NACS尊い

あとお仕事モノとしてのBは仕事にまつわる名言だらけで、誰しもの心に刺さるのがいいですよね。天才と言われる人たちも苦労している。仕事は一部の天才だけがやればいいのか?才能が無くても続けることに意味があることだってある。一度やめたって、生きている限り道は続いている。真面目にやり抜く美学もあれば、真面目に気分転換することの方が大事という見方もできる。色んな人の色んな葛藤が混ざり合っていて、ふと心にひっかかる一言を投げかけてくれるのが美味しい物語でした。

 

そして、
A「虎ノ助とお花の映画」の内容はBでの「灰島と高田の恋物語」や「猫屋の生き方」とパラレル性をもっている。
Aで虎ノ助がお花に「城は消えても、あなたが生きるところが城になる」と言う→Bで、もう役者はやめたのだと悲しみをにじませる猫屋さんに、乙骨さんが「生きている限り、続いている」というニュアンスの言葉をかけるとか。
(ここ、高田さんが猫屋さんに「続けないという選択をしたことは間違っていない」みたいなニュアンスの言葉をかけたのとも対照的で面白かった)

灰島さんが自分を虎ノ助になぞらえてるのとか、Aの「映画」とBの「恋文」をパラレルに扱ってる点は、大阪公演よりも東京公演の方がはっきりと示されていたように思います(あまり記憶力に自信はないですが、大阪公演ではかなり読み取りづらかった)。
冒頭、出会いのシーンを練るときの灰島のセリフ「これじゃ足りない、もっと鮮烈な始まり方がいい!」が、最後に恋文を書くところでの「もっと鮮烈なはじまりがいいんです!」と完全に一致していて、A映画の「脚本」とBでの「恋文」がどちらも「傑作」を産むための文章という点で一致しているんだ、パラレルなんだ、っていうことが分かりやすくなっていた気がする。

ここで、灰島と高田の恋物語について掘り下げて行こうと思います。

A映画の脚本は灰島曰く「不器用なふたりの物語」。
お花は男とひどい別れ方をしたところで虎ノ助と出会い→まだつぼみの桜をふたりで見て、お花が『見られるといいですね』という→城に火をつけられて追手に追われるお花と虎ノ助→虎ノ助は死んだかと思われたが、最後実は生きていたことがわかる。桜の下、言葉をかわさずとも、ふたりで並んで桜を眺める。

灰島は一世一代の大舞台での大告白で「あなたへの思いは映画の中にしたためました。どうかそれを、並んで観てください」と言っていた。
これは紛れもなく、「虎之助とお花の恋物語は僕とあなたの物語だ」という告白の言葉。
でもこれって、あの「喫茶ヒヤシンス」のある世界では、灰島が高田への想いを虎之助とお花になぞらえた映画が「上映されている」、ってことなんですよね。
でも、灰島が告白をした時点ではあの企画は潰れており、彼らが結末を書けてもいない脚本が映画として上映されることはない。
だから、灰島と高田が歩いている「東京」は、「灰島たちが脚本を書き上げ、その企画が通り、それが上映されている世界線の東京」、「架空の東京」なんですよね。

そして灰島が「あなたに隣でその映画を観てほしい」といい、高田が「はい」と答え、2人には「拍手が聞こえ」、高田は「……読み合わせみたいになっちゃいました」と言う。
この瞬間、恋文という「脚本」が生み出した「架空の東京」の世界が閉じ、高田を観客とした「マスターピース」が完成している(高田さん、女優としても出演されてるけど笑)。
そして、続いて灰島が「お付き合いしてください」と言い、高田が断る。
これは私の解釈ですが、高田さんは喫茶店の話あたりから灰島の書いた恋文(=虎之助とお花の恋物語と重なる灰島と高田の恋物語の脚本)にのっとって「読み合わせ」をしていたのであって、「恋人用の席は?」と尋ねてみたり、灰島と手を繋ごうとしていたのも、灰島の広げた妄想の世界の中だったから……ということなんじゃないかと。高田さんはものすごく空気を読んでくれる子だからこそ、灰島の繰り広げた芝居にノッてくれてたんだと思うんですよ。
あの一世一代の告白は、あくまでも脚本ありきの妄想の世界。
高田さんの、恋のときめきをぎゅっと凝縮したような振る舞いも、泡沫の演技。
もしかしたら「現実と夢の区別がつかない」灰島さんのことだから、高田さんの演技も灰島の妄想なのかもしれない。
だからこそ、あそこで「拍手が聞こえたような」「ええ」というやりとりをして、そこで芝居は終わったのだ、ふたりは現実世界に戻ってきたのだ、と私たちに伝えたんじゃないかと。
そう思いました。
(安田さんがカテコで教えてくださった、喫茶ヒヤシンスが黒澤監督作品において焼け野原で喫茶店の「おままごと」をするシーンのオマージュだということも、あのシーンが架空の世界であった、あの二人のやりとりも幻だったのだ、ということなのだと思います)

それでは、告白周りの高田さんの振る舞いが、灰島の脚本に則ったものだったとして。
どうして高田さんは灰島さんを振ったのか。
茶山さんは「思わせぶりなことして……相当なタマですね」と言っていたけれど、そういうことでもない気がした。
私はここで、高田さんの行動を4通りに解釈しました。

1 高田さん、灰島のことは好きだったけど数年も待つほどの覚悟はなかった説
2 高田さん、灰島に「東京」と「映画」への憧れを重ねていただけ説
3 高田さん、まどろっこしい人が苦手説
4 高田さん、自分の存在が灰島の邪魔になると思ってしまった説

順に説明します。

1 高田さん、灰島のことは好きだったけど数年も待つほどの覚悟はなかった説
先程の理解でいくと、灰島さんが「想いをしたためた映画を並んで観てほしい」というのは「今さっきポシャッた企画がいつか日の目を見て上映されるまで待ってほしい」ということになる。それって何年後ですか?という当然の疑問が湧きますね。
たった一ヶ月台本作りを手伝っただけの人と添い遂げるために、何年も独り身でいることを選択するだろうか。当時の恋愛観は分からないけど、そこまでするほど二人の仲って親密でしたっけ……という。
高田さん的に「もう東京帰るっていうから言葉で伝えてくれって言ったのに、結局肝心の言葉を聞ける(=想いをしたためた映画を観る)まで数年待たされるんだ……?」と思ってしまったのでは、という説。

 

2 高田さん、灰島に「東京」と「映画」への憧れを重ねていただけ説 
高田さんにとって灰島は、「新しい世界を見せてくれた人」なんだよね。
高田さんは映画を見たことはほぼないけど、文学は好きで、読み書きもできて、お話を創作することにも興味があって。でもその才能が発揮されることはなくて。女中の皆さんも高田さんが漢字を読んだ時に驚いてた(気がする)から、身近な人たちも彼女の才能に気付いてなかったんだと思う。
そんな高田さんの前に突如現れた灰島。高田さんの言葉を脚本に採用し、読み合わせにも呼んでくれて、映画の楽しさ、映画を作る楽しさを教えてくれた灰島。自分の憧れる街「東京」をリアルに想像させてくれる灰島。
高田さんは確かに灰島に好意を抱いてたと思うけど、それは異性としての好意よりも映画作りという仕事仲間としての好意が大きかったんじゃないかな。
だから、いつか出来上がった映画が上映されたら是非観に行きたいと思うし、その時は一緒に頑張った灰島と並んで観劇したいけど、それは別に恋愛的に付き合いたいというのとは違うなぁ、ということだったという説。

 

3 高田さん、まどろっこしい人が苦手説
高田さん、完全に灰島から高田への矢印把握してるし、茶山さんに「灰島はあなたに本気です」と言われて「本当にそうかしら」と疑っている。
そして、茶山さんに映画が出来ないかもって言われて驚いてから、灰島に「あなたには聞こえているけど見えていない」「映画と違って、言葉にしないと伝わらない」と言っているんですよね……。
(そして乙骨さんが灰島に「もう余計な美学にとらわれず、言葉で伝えるんです。言葉の刀は抜かなければ相手には届かない」と言うのがパラレルになっていて良きですね)
これ、高田さんの「まどろっこしいものが苦手」な面が現れてるのでは?と思ってしまう。
高田さんってすごく現代的な思考の持ち主だと思っていて。「女心が分からない」と嘆く灰島に対して「私も女心なんて分かりません。分かるのは私の心だけです」っていうところとか、凄くしびれた。「女脳、男脳」とか「女心、男心」みたく世の中を「女は〜、男は〜」という二項対立に落とし込むことがおおっぴらに否定されはじめたのって、かなり令和の感覚だと思っていて(まぁまだまだその二項対立にとらわれている人って凄く多いけど)、そういう物差しに縛られず、そのことをはっきり主張できる高田さん、格好いいなと思った。よくぞ言ってくれた!というか。

そんな凛とした高田さんだからこそ、ひとりでは恋文も書けず、告白も仲間から冷やかしの目で見られる場所でする……しかも告白の台詞も、肝心の「付き合ってください」までの小芝居があまりにも長い……という灰島さんとは、付き合っても続かないなぁと思ったのではなかろうか。
高田さんは灰島たちが東京に帰ると知って、「映画は言葉がなくても伝わるけど、私には言葉で伝えてほしい」とハッキリ告げたのに、灰島は「想いは映画の中にしたためたので、それを並んで観てください」という変化球で返している。
あと……これは私が聞き漏らしてただけだったら灰島さんごめん!なんですけど、灰島さんって高田さんに「好きです」って言ってましたっけ。恋文の架空世界が閉じてから、灰島は「付き合ってほしい」とはちゃんと言葉で伝えているけど……。架空の世界の中ですら、「想いは映画の中に描きました」としか言ってなかった気がして。
高田さんは最初からストレートに「あなたが好きだ」と言ってほしかったのではないか……という説。

(恋文書くときに猫屋さんが「まえがきが長すぎるから結論を先にしましょうや」的なこと言われてたけど、肝心の告白までの前置きが長すぎるのは、乙骨さんの告白との類似性を出したかったのかな?と思ったりもした。長すぎると怒られた乙骨さんと、長いなぁと思ってもそれを言わない高田さん……乙骨さんは妻子に数年越しに出ていかれてるから、その場で振ってくれるだけ高田さんの方が優しいような気も……)
(いや、なんていうのかな……私だったら、告白の前に突然小芝居に付き合わせてくる人、ちょっと無理かも……と思っちゃうな、っていう……。ごめんね灰島さん……第三者目線で見てる分には可愛いですよ灰島さん……きっと貴方と相性のいい人がどこかにいるよ……)

 4 高田さん、自分の存在が灰島の邪魔になると思ってしまった説
 灰島の告白を断るとき、物凄くつらそうな顔をしていた高田さん(配信で初めて高田さんの表情をちゃんと見れました)。
 彼女の表情を見たら、高田さんは灰島に特別な想いを抱いていることは間違いないのだと思いました。どうでも良い男からの告白を断る表情ではなかった。
 茶山さんに映画が出来ないかもって言われて驚いたときの高田さんの表情、真に迫るものがあって。真面目だけが取り柄の灰島さんが変わってしまった(風呂に入るようになってしまった)のは自分のせいで。映画の企画が閉じてしまったのも、自分のせいなのではないか。
 そうやって、自分が灰島にとって「疫病神」になってしまうことを恐れて(ここが乙骨さんとのパラレル性なのかも!)、自ら断ったのかもしれないなぁと思った。そうでなかったら、あんなに悔しそうに、悲しそうにお断りしないんじゃないかな、って。

 

私が彼女の行動を読み解くとしたら、この4つのミックスという感じでしょうか。
大阪・東京は前3つのミックスかと思っていたのですが、配信でしっかり高田さんのお顔を見たら4がかなり強い要素として混ざっていたのかもしれないなと思いました。
大阪→東京→配信と、凛とした→翳、色気のある→可愛らしい、と高田さんの印象が変わったので、お芝居も少しずつ変わっていっていたのかなぁと思います。
まぁ、もう決まっていた人がいた説とか、小泉姐さんの恋路を邪魔したくない説とか、自らAの脚本の展開をなぞりたかった説もあってもおかしくないですし……解釈は無限大ですね。

 

さて。
ラストシーン、茶山さんが「高田さんのこと何年も待たせて……」と言っていたのは、灰島が「想いは映画の中にしたためました!」と言ったA「映画」がようやく作れる、ということだろうから、やっぱり数年後に熱海で満開の桜を実際に観て、遅れてやってきた乙骨さんに高田さんの姿を重ねてしまって、その瞬間にA映画の納得いくラストシーンが灰島に降りてきた……そしてそれがめでたく上映された……私たちはそれを見届けた……ということだと思った。

女中たちで話しあってるときに、"お花が十年間純血を守りきりひとりで虎ノ助を待っていると、死んでいたと思っていた虎ノ助が現れて「待たせたな、お花」と言う”というストーリーが生まれていて。
最後に灰島演じる虎ノ助が「待たせたな、お花」と声をかけていることから、Aのラストはハッピーエンドなんですよね。

そしてAは映画だから、高田さんの要求とは違って、「言葉がいらない」二人なんですよね……はぁ。
ニクい纏め方ですね。


ラストが「灰島の想像だ!」とか「いや、あれは高田と灰島が付き合うハッピーエンドだ!」と感想が分かれていること自体、ハピエンにするかビタエンにするか散々迷っていた灰島たちが産み出した、「そのどちらとも取れる終わり方」になっているということなんじゃないかな。

 

ちなみに、あれを灰島高田の二人が結ばれるハッピーエンドだと解釈したい場合には、
Aで「死んでいたと思われた虎之助が実は生きていて、二人が結ばれる」のに則って、高田さんが猫屋さんにお願いして「アキちゃんは結婚してやめた」と灰島に伝え、落胆した灰島の元に「実は貴方を待っていましたよ」という感じで現れた……という見方になるのでしょう。
 全体で語られていた「生きている限り、終わりはない。続いている」というメッセージとも合いますね。生きている限り、ふたりが結ばれる可能性はある。一度振られて終わったように見えても、生きている限り。灰島と高田の恋が成就して、それがそのままA映画のラストとなって上映される。
AもBもハッピーエンド。
……まぁ、そういう解釈もアリだよねー、ということで。

追記。

serai.jp

 ちょっとまって下さい!?!?リンク先読んでください!?!?
これはこれはマギーさん天才すぎる、これをこの舞台でオマージュするのは、ほんと、どんぴしゃだ……!!!凄い……!!!!

 

追記その2

じっくり反芻していたら、これは確かに恋物語ではあったけど、今回の舞台のテーマは「生きていれば、必ずまた作れよう」だったんだな……
あの冬、熱海で打ち切られた恋愛映画企画。その恋愛映画が最後、映画館において上映されているということは、「生きていれば、必ずまた作れよう」の現れに他ならなくて。その意味で(誰と誰が付き合ったとかいう話を置いておいて)……つまり、彼らの仕事は日の目を見たという意味で、この舞台はハッピーエンドなんだな。
↑私は、今回の舞台は「我々観客が昭和の映画館の観客となって観劇している」という設定だと思っているので……。

彼らは戦争を生き抜いた者たち。だからこそ、「生きていれば」に意味が乗る。
噛めば噛むほど味がしますね。
黒澤になれなかった諸澤。俳優になれなかった猫屋。脚本家になれなかった茶山。作品が日の目を浴びず、結婚生活を全うできなかった乙骨。恋が成就しなかった灰島。才能が活かせなかった高田。なにかを諦めざるを得ない市井の人間が、それでも生きている、生きていれば、また作れる。
ラストの華々しさとは対照的にかなりのヘビーな設定でしたが、だからこそ猫ちゃんの可愛らしさとラストの桜の美しさが救いでしたね。

ちょっと思ったこと


お気持ち表明。
スターピース最高!これぞ傑作!!今までの本公演のなかで一番よかった!!!!
という気持ちだけでいたい方はぜひ閉じてください。

 

 


いちNACSオタクのぼやき。

 

 

大阪公演で感じた「いや、脚本だめになったから恋文って……それでいいんかい!苦笑」という感情は、東京公演ではかなり減っていた(まぁ強引な展開だなとは思うけど)。もちろん、配信でも。
それは色んなところで脚本と恋文のパラレル性が語られたおかげで、そこの互換性が腑に落ちやすくなっていたからだと思う。うまく言えないけど、かなり自然になっていた。話の流れも、キャラの感情の発露も。

でもなぁぁぁ!!!!もっと諸澤さんと茶山さんの見せ場が欲しかったよぉぉぉ!!!!正直言うと!!!!!
だってもう、名前の出し方も「主演・大泉洋」って感じで……いや、あくまでも「映画」に寄せた舞台だから仕方ないけどさぁぁ………私は「この5人の中だと大泉洋の名前が4番目に出る」チームナックスが好きなんですよ…………いや大泉さん最推しだから、嬉しいんですよ?めちゃ嬉しいんですけども……全員の見せ場が欲しかったなって……わがままだって分かってるけど……箱推しなんですよ……皆の決め台詞が欲しいんですよぉ……

もちろん、茶山さんのおかげで脚本→恋文シフトが説明されるから大役なんですけど(ここの転換、大阪→東京→大千秋楽で物凄く分かりやすくなっていた。相当戸次さんがセリフ練られたんだなって思う)、もっとこう……分かりやすい見せ場が……。諸澤さんも駄目だけど憎めないような、カラっとしてるようで湿っぽいような、絶妙な役どころだったのですけど……とても美味しかったのですけども……。

 

まぁ、そういう脚本を作るのは難しいからこそ、今までの本公演でメンバーで脚本会議するときに荒れてたんでしょう……今回のお芝居を観て、今まで5人がどれだけ頑張ってきたのかが伝わってきて勝手にエモくなりました(コスパのいいオタク)

とはいえ大千穐楽はテンポがよくなっていて(あと配信で各キャラのアップが見れたから、それぞれの気持ちがわかりやすかったのもある)、そこの不公平さがちょっと軽減していた感じがしたな。
配信に強いお芝居なんだと思う(2回ともかなり後列で観たので、役者さんの顔が見えづらく、ストーリーの運びにかなり意識が行っていたので、少し不満感があった。配信だとかなり満足感が強かった)
もっと前列で観ていたら感想も変わったのだなぁ……そういう意味で、舞台って本当に変幻自在だな……という気付きもありました。

イナダ組舞台「アイドルを探せ!」の感想と考察

 

「アイドルを探せ!」とは

 

「アイドルを探せ!」とは、イナダ組が1998年に打った17回目の公演。TEAM NACSの佐藤重幸(現在の芸名は戸次重幸)さんが主演され、森崎博之さん、大泉洋さんが出演されている舞台です。
DVD化されておらず、感想ブログなどもほぼ見つからない、砂漠のような舞台なのですが……縁あって、鑑賞することができたので、私の備忘録も兼ねて感想ブログを書くことにしました。

 舞台は伝説のトップアイドルだった妻を再び返り咲かせる為、奔走する主人公が妻殺害の容疑で取り調べを受けるところから始まります。本当に彼が殺したのか、なぜ彼女は死んだのか。主人公の回想をたどるうち、観客はひとつの真実にたどり着く。その過程で、芸能界の光と陰、舞台に立つ者の性、嫉妬や絶望、様々な人間の感情を突きつけられ、考えさせてくれる。当時のアイドルの名前やヒット曲の名前が記号として多々登場し、時々コミカルな場面も入る、それでいて重厚な作品です。



ネタバレ無し感想

 

 恋愛と芸能の仕事は、どちらも「終わりがやってくる」という恐怖がつきまとう。それにきちんと向き合うことができれば、もし上手くいかないことがあっても、自分を傷つけたりしないでも大丈夫。
 そのことを真摯に、しかし痛みをもって教えてくれる舞台でした。切なくて苦しくて、笑えるけどほろ苦い。緩急がすごくて、ずっと舞台に惹きつけられました。

 

 まず、とにかくシゲさんの絶望演技が良すぎる。心がぐっと掴まれました。妻に縋り付く演技、おそろしく絶望的で最高でしたね……。一瞬、何が起きているかわからない、と固まる顔。受け入れがたい言葉を聞いて、絶望のあまり目は見開かれて、眉根が寄って、畳み掛けるような叫び声は切ないほどに情けなくて。森崎さんが以前キューダイで書かれていた気がするけど、本当にシゲさんほど絶望の演技がハマる役者さんはいないなぁ……と改めて痛感しました。
 あと森崎さんがスーツで決めて、冷静に振る舞うお芝居も素敵だった。森崎さんは現実とオサムの回想とを行き来する転換の表現が自然で、とても良かったです。いやスーツ似合い過ぎでは……黒ベストが格好良すぎた……ラスト、調書片手に煙草吸うシーンがね……はぁ……色っぽすぎてね……
 そしてなんといっても、大泉さん演じる小御堂が感情を爆発させるシーンはもう、呼吸をするのを忘れてしまって……ものすごく心拍数が上がって……すごいお芝居でした。

小島さんの歌唱力、Jさんの笑いのとり方、山村さんの迫真の演技……2021年現在でも新鮮に楽しめました。

 

プロット(がっつりネタバレ)
 

がっつりネタバレしております。
本編をご覧になれない方にも考察楽しんでいただきたくて……。

 

大丈夫ですか?

恐ろしいほどのネタバレしてますよ?


本当に本当にストーリー展開や台詞のネタバレの宝庫になっています。

ので、十分な覚悟のほどをお願いいたします。

 


それでは↓

 


↓↓↓


神垣(刑事)がオサム(32歳)(元ダンサー、亡くなったナミエの夫兼マネージャ兼付き人(ほぼヒモ))を刑務所で取り調べるシーンから始まる
オサムはナミエを殺したと自白。「俺はナミエを殺した。それでいいじゃないか!動機は愛!」

回想①
ナミエは元トップアイドルだったが一旦引退、そこから演歌歌手として再び芸能の道へ復帰。
オサムはナミエの世話以外にすることがない、ダンサーとしての才能を活かさないのかとナミエに聞かれてもダンスの道は一切諦めており「お前のヒモでもいいや!」

ナミエとオサムは結婚しており、娘のハルコがいる。しかし、彼女が二人の子供かは不明。それに、オサムはハルコが学校に行っているかどうかも把握していない。
ハルコ→オサム「一度もパパだと思ったことない/ママはいけない恋をして私をつくって、それを隠すために好きでもないあんたなんかと一緒になったの」

刑務所
神垣「ハルコは二人の子供ではない…それが真実?」
オサム「さぁ。どっちだっていい。父親らしいことなんてなにひとつしてやらなかった」
ナミエに仕事が来なくなって、仕事を待つことが仕事になっていたと打ち明けるオサム。

回想②
神垣(プロデューサの付き人)が出てくるシーン
ハルコを神垣がプロデューサ(キャンディ氏)の元へ連れてくる
キャンディの事務所は、もともとナミエが所属していたところだった。ナミエはそこを辞め、個人事務所として独立(社長がオサム)

小御堂は敏腕プロデューサだが、タレント志望の女の子をディレクターに売って枕で金稼いだりもしている男。
小御堂にハルコやナミエの仕事を回してくれるように頼み込むオサム(ふたりは小御堂がADだった頃からの付き合い)。「またお前のケツ貸してよ、ナミエのレギュラー取ってきてよぉ、小御堂ちゃんよぉ」
仕事を取るために、男相手に身体を売っている小御堂「お前も少しは身体張ったらどうだ?」
小御堂には「ゴリラ芋」な嫁がいる、そのことをオサムに散々弄られた小御堂は「オサムよぉ!お前死ね……自殺しろ!そしたらナミエ使ってやるよ/ナミエもビッグになるには旦那ひとりくらい自殺に追い込まねぇとよ」とオサムを脅し、「あいつのために死んでやれ!」と叫ぶ。
妖艶な色気をもつ女性芸能人は周りの男の生気を吸ってる、だからオサムもナミエに自分の命を差し出せと命じる小御堂。

ナミエ、年齢をごまかしてまで演技の仕事もらう。
小御堂、ナミエに脱ぎ仕事をもちかける「ハードにレイプされる役、体当たりでやってよ/いつまでも清純気取ってないで、生身の女演じたらどうだ?年が年なんだからよ」
そんな役はやりたくないと言うナミエ、他の女優にも「あんたさぁ、このドラマに出るためにも何人かと寝てるんでしょ?テレビに顔映るだけでもいいと思わないと」と言われる
小御堂→ナミエ「お前は役ほしさに服脱いですぐ寝ちゃう、その程度の女なんだよ?誰もおめぇのことなんて女優なんて思ってねぇんだよ!」

ナミエ・オサムの知らないところで華麗なアイドルデビューをするハルコ。

オサムの独白「ハルコはトップアイドルへの道を駆け上り、ナミエはそれを喜びながらも、ふたりの溝が深まる。愛する者だからこそ憎む。許せない」
※この「愛する者だからこそ…」という台詞が「オサムはナミエを殺した。動機は、愛」という筋へのミスリードか。


ナミエに2時間ドラマの冒頭5分で殺される役が来る。ナミエはそんな役はやりたくない。
キャンディ→オサム「あの子の旬が終わったと一番感じてるのはオサム、あなたじゃないの?/あんたまだダンサー諦めてないんでしょ。陰で毎日練習してるんでしょ?/華やかなライトスポット浴びたんだからあの感覚忘れるわけないもんねぇ?ナミエはもうだめ。あなたにチャンスよ。自分を偽るのはやめなさい」

この引き抜きの話はハルコが手を回していた
オサムとハルコ、口論。「ナミエを傷つけることはすんな!」「あたしと寝てみない?ママとどのくらい寝た?」
ハルコ「恋愛のいちばん悲しいところは、いつか終わりがやってくると思う恐怖/この不安や恐怖をきちっと見つめる自信があれば、もし上手く行かなくなってもナイフを振り回したり自分を傷つけなくっても済むのよ
※ライティングが青に変化。
幻想から覚めるにはね、深く悲しみに落ちるしかないの。オサムちゃんがナミエちゃんとのこときちんとしたいんだったら、私と寝ること。これ以上二人が傷つくものないでしょ」
※この台詞がこの舞台を貫く軸になっている。
「お前何言ってんだよ、さっぱりわからんよ。キャンディのとこで洗脳されてんのか?」
「愛なんて所詮幻想なんだから」
ハルコとオサムが交わる雰囲気になる

刑務所に切り替わる
「大丈夫ですか」「神垣さん!……いえ、悪い夢を」

回想③
ナミエ、神埼(キャンディの付き人)とオサムが契約していたらしい現場を目撃。
ナミエ、嫌がっていた2時間ドラマの汚れ役を受けることにする。その5分のシーン(オサム役の男がナミエの役を殺すシーン)をオサムとふたりで練習。
「全部嫌いになったのよ、あなたのこと全部!」ナミエは台詞を言っていたはずが、次第にオサムへの本音が出てくる「一緒にいたら、ふたりともダメになっちゃうのよ/はじめっから無理だったのよ、私には私の夢があり、あなたにはあなたの夢があった/なのにあなたは私の夢にすがり、自分の夢があたしなのかのように偽り続けた。本当はちゃんとあるんでしょ」
オサムがダンスの練習してること、キャンディのとこの契約の話がきていることを問い詰めるナミエ。
「もういいから!私ひとりでもやっていけるから、あなたはあなたの好きなようにして/全部嫌いになったのよ!しつこい男嫌いなの!早く帰ってよ!」
オサムは「今は少し、調子が悪いだけだよ、ちょっと我慢すれば、また仕事が回りだす!あんな仕事しなくていいから、俺いい仕事いっぱい取ってくっから!/ふたりで頑張ろう?」とナミエをなだめようとする。

ナミエ、オサムにナイフを突きつけて「もうダメなの!近寄らないで!私には私の夢があって、あなたにはあなたの夢があるの!」
※ライティングが青に変化。
オサム、慌ててナイフを奪う
あなたの夢は私じゃないの、幻想よ、あなたそう思い込んでるだけなのよ!
「ナミエもさ、ビッグになりたいんだったら、男ひとりくらい自殺に追い込まないとさ!」
オサム、自殺を図る「俺の夢は、お前自身なんだ。お前が大歓声のなか、華やかなスポットライトを浴びてる、それを袖から見てるだけで、俺は!俺は、俺は幸せなんだ!」

小御堂「カット!」
ナミエ、ドラマの現場へ。

小御堂→オサム「俺の言うこと真に受けるとは、おめぇら見てるとヘドが出るぜ/お前そんなにあの女に入れ込んでんのか?健気だねぇ」
小御堂がオサム抱こうとする(ナミエの仕事を取るかわり、オサムの身体を差し出すよう強要)が、オサムはめちゃくちゃ嫌がる。小御堂、オサムのこと蹴り飛ばす。
「甘ったれたプライドとか捨てろよ/ナミエの仕事が欲しいんだろ、そのためだったらなんでもすんだろ、お前そう言ってたじゃねえかよ。好きなんだろ?惚れてんだろ!」
小御堂、嫁とどうして別れないのかを突然告げる。「愛情のうち、愛の部分なんてもうない、情の部分だけで別れずにいる。だから好きとかなんとか言ってるうちは大成しない、思い上がるな!」とオサムに怒鳴りつける。
そして小御堂がオサムに告白
好きなんだよ!ギリギリのところで頑張ってた!お前の従順さが好きだったんだよ、男でも女でもヤギでも、何でも救いを求めてたから、お前の従順さが羨ましかったんだよ。お前は知らないうちに人を好きにさせる。でも、それを受け止めるだけの器がないから、だから人を不幸にすんだよ!」


ナミエ、小御堂とオサムが絡んでいるとこに戻ってくる。
オサムは小御堂が無理やり迫ったと言うが、小御堂は「オサムがキャンディと契約することになって、小御堂とはプロダクション契約切りたいからケツ出してきたんだよ。こいつはテメェのことしか考えてねぇのよ」と説明。
オサム→小御堂にナイフ突きつけ「今言ったこと全部、嘘だって言えよ!」と脅すも、手は震えている。
小御堂、オサムを投げ飛ばし蹴り飛ばす。
「ナミエよ。俺の話とこいつの話、どっち信じる?どっちにしても結果は同じか」「オサム。さっきお前に言ったことは真実だ」

ナミエはオサムに、「わたしオサム信じようと努力してる。でも最近思うの、私オサムに甘え過ぎだって。自分のことは自分でしないと」と言う。
※ライティングが青に変化。
オサムは「俺は、お前だけなんだよ信じてくれ」とすがりつく。
「信じてるわよ」「嘘だー!お前は俺を疑ってる。俺は何もしていない。俺はお前だけなんだよ、信じてくれよ!どーすればいい?どーすれば分かってくれる?」
自殺を図るオサム。
神垣(キャンディの付き人)「カット!」 神埼とキャンディ登場。
神垣→オサム「死んで侘びたって何の得にもならないんだよ!あんた一回契約書にサインしたんだよ、それをできませんって」
キャンディ→オサム「(a)芸能界で一生干されながら二人でやっていくか、(b)ナミエはアジアで売り出し、オサムはダンサーとしてハルコのグループのメンバーになるか」の二択を迫る

刑務所
神垣「それからどうしたんです?」
オサム「え」
神垣「あなたは妄想の中、自分を消し去ることで事実から逃げている。自殺なんて一度もしていない。あなたがナミエさんを殺した」
オサム「僕がナミエを?」
神垣「あなたはナミエ一人をアジアに行かせることを望まかなった。あなたは芸能界から見放されようとも一緒に再起をかけたい、そう願っていた。そう決め、二人でやり直そうと言うために、彼女のマンションへ行った」

回想④ 事件当日のマンション
ナミエにつらくあたるオサム。部屋の汚さをバカにし、どうせ向こうでも喋れることなんて期待されてないと言い放つ。ナミエは海外で新しい彼氏を探すことを示唆。
「プロデューサーのおやじに変な病気移されんなよ」「なんでそういう嫌なことばっかり言うかな」「馬鹿野郎。心配してるからだろ。お前一人で行くんだぞ。掃除洗濯も全部自分でやらないといけないんだぞ!」
オサム、ナミエがオサムなしでは普通の生活すら送れないことを一つ一つ指摘していく。
※オサムのナミエへの話し方が、今までの回想シーンと全く違う。ナミエに向かって、中卒だ、汚い、ズボラだ、と散々な口をきく。回想③までは、オサムはかなりナミエに媚びへつらっていたが、そうした回想がかなりオサムによって捻じ曲げられたもので、このやりとりが二人の本来の距離感だということか。
俺がいないと私はダメだって言いたいの?
オサムをビンタするナミエ。
「向こうで、ちゃあんとオサムの替わり見つけるから。ぜーんぶ自分でするから。」「そうだな、俺はお役ごめんだよな」「オサムちゃん。大丈夫?」「は、なにが?俺が?」「うん」「俺は大丈夫に決まってんだろ、えぇ?
ここで「俺には、お前しかいないんだ」という素振りは一切見せないオサム。ここまでのナミエに縋り付くシーンはオサムの幻想だった、ということを示すシーンだろう。
ダンスレッスンが始まっているから大丈夫だと張り切ってみせるオサム。「見ろよこの身体のキレ!昔通りだろ!」とステップを踏むが、毎回同じところでうまくいかない。「よし、今ちょっと酔っ払ってるから!もっかい!もう一回だけやらして!」と、何度もやり直す。何度も。ぜえぜえと息切れしながら、何度も。ナミエは涙ぐみながら、オサムが頑張る姿をじっと見つめる。
「この足がさぁ!この足がさ、昔みたいに、うまく行かねぇんだよ!どうしてだ、どうしてだ、ナミエ。俺がいないとだめなのはお前じゃなくて、ナミエがいないとダメなのが!
※ここもシゲさんの絶望演技が光り輝いていましたね……現実の世界では、オサムはここまで事態が行き詰まってはじめて、ナミエに依存していた自分に気付いたということでしょう……
「大歓声とスポットライトの中。華やかな歓声と拍手浴びてる私見るだけで、オサム幸せだって、そう言ってくれたよね。私もね、はじめてあなた見た時そう思ったの。あなたが息切れひとつせず軽やかにステップ踏んでるその姿見た時に、あたしも、私も幸せって、そう思ったの。大歓声のなか、もう一度華やかなスポットライトを浴びるのは、私じゃなくて、あなたよ。さあ!立って!もう一度私に、息切れひとつせず、華やかなステップ踏んで見せて!」

ナミエ「あなたの夢が、私の夢なの」とナイフを握る。オサムは止めようとするが、「はじめて貴方を見た時から、大好きだった!」とナミエは叫び、自殺。
オサム「カットだカット!小御堂さん、カットでしょカット!」と叫ぶ。「ダメだよナミエ、俺の夢は、お前なんだよ。俺の夢は、お前なのにナミエ!カット!カットでしょ!……カット!」

ナミエは死亡。
ハルコはグループ活動をやめ、ソロ活動へ転向。オサムはハルコのマネージャ兼付き人のようになっている。
※これ、明示はされてないけど、結局オサムはダンサーとして舞台に復帰できたのは一瞬だったってことなんだろうな……。
ハルコ、ナミエへの手紙読む
「そちら(=天国)の生活はどうですか。……私はママに対して正直ではなかったと思います。随分ママを引きずり回したり傷つけたりしたんだろうと思います。でもそうすることで、私だって自分自身を引きずり回し、自分自身を傷つけてきたんです。もし私がママの中になにか傷を残したんだとしたら、それはママだけの傷ではなく、私の傷でもあったのです。だから、そのことで私を責めたりはしないでください。私は本当にママが大好きだったし、憧れの存在だったのだから。
※「引きずり回して傷つけて…」が冒頭のハルコの台詞「ナイフを振り回して自分を傷つけたりしなくても…」と対になっている
「寂しくなったら、眩しく光り輝いていたときのあの頃のママの曲を聴きます。大歓声と拍手のなか、華やかなスポットライトを浴びているママの姿を思い出します。追伸:ナミエちゃんの新たな再起を楽しみにしています。遠い空の下、いつかあなたの歌声を聴けることを本当に楽しみにしています。いつかそちらに行った時、アイドルを探してみようと思います。そしてそのアイドルが、ナミエちゃん。あなたであることを、楽しみにしています。ハルコ」
※すぐに消費され忘れられるアイドルという仕事と、「ママを思い出します」という娘の台詞の対比。

オサム「神垣さん」※ライティングが青に変化。「動機は、愛」「動機は、愛。これで、いいですよね(少し切なそうな、それでいてほっとしたような言い方で)」「動機は愛、ね」

神垣によるエピローグ
オサムはナミエを殺した疑いで逮捕されたが、取り調べの結果、ナミエは自殺と判明。オサムは死体遺棄と虚偽証言罪で立件、書類送検となった
※青のライティングのまま

 


ネタバレあり感想と考察

 
 かなりとりとめのない感想・考察になりますが、ご容赦ください。
 まずは全体的なふわっとした感想を。
 舞台に立った者は、スポットライトを浴びた者は、熱に浮かされたようになる。いつまでも舞台に立ち続けることを望んでしまう。
 その煌めきと虚しさを、役者が舞台の上で表現するという二重構造にぐっと来ました。
 いや、それにしても、兎にも角にも、暗転する舞台にオサムの「カットぉ……!」という絶望的な叫び声が響くシーン、本当に胸がぎゅっとなりました。シゲさんの絶望演技、すごすぎる……ノーベル絶望演技賞受賞おめでとうございます……

 以下、この作品の考察をしたいと思います。あくまでも素人の考察ですので、ご容赦ください。
 
 この舞台のキーワードは「真実/幻想」、「愛/情」。
 そして、これらを読み解く鍵として重要になるのがハルコの
A「幻想から現実に帰ってくるためには深く悲しみに落ちるしかない」
B「恋愛のいちばん悲しいところは、いつか終わりがやってくると思う恐怖/この不安や恐怖をきちっと見つめる自信があれば、もし上手く行かなくなってもナイフを振り回したり自分を傷つけなくっても済む」
C「愛なんて幻想なんだから」
というみっつの台詞だと思いました。

 ACは、オサムが真実と向き合うためのキーワードとしての役割を果たしています。冒頭、オサムは「俺がナミエを殺した。動機は、愛。それでいいじゃないですか」と言っているが、これは「幻想」。
 オサムは供述をするうちに、だんだん幻想に逃げるのをやめ、最後には真実と向き合う。
 ナミエはオサムに殺されたのではなく、自ら死を選んでいた。
 そして、オサムはナミエとの間に最後まで愛があったと思っていたけれど(「動機は愛」)、実際にはもう、情でしか繋がっていなかった。
 回想④で浮き彫りになったのは、オサムがナミエに対して「ゴミ箱みてぇな部屋に住んで/お前人として女として、もうちょっとちゃんとしないと。もうお前は俺がいないとさ……」とグチグチ言い立てる日常生活。これは回想①〜③では見えることのなかった姿なんですよね。オサムはナミエに媚びへつらわず、蔑みの視線を隠しもしない。そこに、愛はない。

 でも、ナミエは最後、自らに刃を突き立てる時、オサムへの最大級の愛情表現をします。これは回想③のオサム自殺未遂シーンと真反対の構図になっている。
 神垣刑事がオサムに対して「あなたは自殺をしていない。それは妄想だ」という類のことを言いますが、「相手のためを思って自殺する」=「愛」=「幻想」という方程式がこの作品を貫いているように思えて。
 これが分かった瞬間、どうしようもなく苦しくて、冒頭と終盤で「動機は、愛」と悲しい目付きで言うオサムが見ていられなくて、感情がぐちゃぐちゃになりましたね……。これは、オサムがナミエとの間には愛があったのだ、と、そう思いたいという願望の現れでもあり、彼女はオサムへの愛を感じながら自らを殺したのだ、という叫びでもあり……。じわじわと胸にくるものがある台詞です。


 回想①〜③のどこまでが現実で、どこからが幻想なのか、私もまだはっきりとは分かっていないです。

ただ、現実に最も近いであろう回想④において、オサムはそれまで「お前は俺がいないとダメだな」と思っていたのに、自分こそ彼女に依存していたのだと初めて気付いた……というシーンがありました。だからこそ、回想①〜③のライトが青のシーンで「俺にはお前しかいない」と叫んでいたのは、「

現実世界ではそんな風には伝えられていなかった」ということかなぁ、などと考えています。
 

 この舞台、a「オサムにとってナミエが全てで、ナミエを売れさせるために奔走し、自殺まで図ろうとした。しかし、娘に迫られてダンサーとしての契約を持ちかけられ、小御堂にも迫られ、いちどはダンサーとしてやっていこうかとも思ったが、最終的にはやっぱり芸能界から干されてもいいから二人で再起しようと訴えて(ふたりの間には愛があって)、口論の末ナミエを殺した」というストーリーと、b「オサムにはダンサーとして舞台に戻りたいという自分の夢があって、ナミエの夢を最初は応援していたが限界を感じ、娘を抱き込んで自分のダンサー契約を勝ち取り、小御堂には自分から身体を差し出し、ナミエの間には情しか残っておらず、ナミエはオサムの行く末と自分の置かれた状況を憂いて自ら命を絶った」というストーリーが混在していて、その境目が分からなくなっているんですよね。時が経つごとにabへとじわじわ変化したのか、それともaは完全なオサムの妄想で、bが現実なのか。その分からなさ込みで楽しめる、演劇ってほんと、楽しみ方が無限大で大好きです。

 そして何より面白かったのは、小御堂とオサムの関係性です。


 ナミエと小御堂は、どちらも「仕事のためなら枕営業できてしまう」人間。これに対してオサムは、地道にこっそり深夜の個人練をし、身体を差し出すことに拒否感を示し、加齢と共に衰えていく身体を恨みながらも、それでも必死にステップを踏む男。彼らは同じ芸能界で物凄く近くにいながら、どこまでも交わらないところにいた。
 小御堂はオサムに「お前の従順さが羨ましかったんだよ。お前は知らないうちに人を好きにさせる。でも、それを受け止めるだけの器がないから、だから人を不幸にすんだよ!」と告白しますが、これはナミエがオサムに対して抱いていた気持ちにも近かったのかもしれません。彼らは、オサムの放つ光にあてられて、翼を灼かれたイカロスのような存在なのかもしれないな……などと考えながら観ていました。
 ただ、もし小御堂の言うことが「真実」で、オサムはナミエの芸能活動に限界を感じ、娘を抱き込んで自分をダンサーとしてキャンディと契約を交わし、プロデューサー契約を切るよう頼むために小御堂に身体を差し出していたとしたら……。
 現時点での私の解釈はこうです。オサムは自分の保身のため、小御堂に身体を差し出してしまったのではないでしょうか。小御堂は失望したでしょう。今まで枕とは縁遠いところにいたオサムが、「ぎりぎりのところで頑張っていた」オサムが、枕営業する小御堂を蔑んでいたオサムが、ついに彼らの側に堕ちてしまうところを、小御堂は目の当たりにしてしまったことになる。だからこそ、小御堂は感情が爆発して気持ちを吐露してしまったのではないか。
 現実と妄想の境目が曖昧な作品ですが、こう解釈すると切なくて苦しくてたまりません。

 


 また、避けては通れないのがナミエの内面。彼女は最期、何を思って自殺したのか。
ここで効いてくるのが、ハルコの台詞B「恋愛のいちばん悲しいところは、いつか終わりがやってくると思う恐怖/この不安や恐怖をきちっと見つめる自信があれば、もし上手く行かなくなってもナイフを振り回したり自分を傷つけなくっても済む」です。


 ナミエは、息切れしながらステップを踏み、絶望するオサムを見つめながら、自らの芸能の仕事・オサムの芸能の仕事・オサムとの恋愛、すべてに「終わり」を感じ取ってしまったのではないでしょうか。
 これから一人で向かう外国では、言葉を話す能力など期待してももらえず、ただ枕しに行くだけ。自分にはこの先、きっと大きな仕事はこない。もう自分が舞台で輝けることは、きっと、絶対に、ない。オサムは、必死にステップを踏んでいるけれど、もう年齢には抗えない。彼が本当にダンサーとしてやっていけるのか、分からない。そして、彼をダンスから引きずり下ろしたのは、他でもない、自分で。オサムに「ナミエの夢が俺の夢だ」と言わせたのは、紛れもなく、自分で。その自分は今、誰にも知られない国で誰にも知られずに終わっていく。一度は、トップアイドルとして名を馳せた自分が。十年も離れ離れになったら、もう彼とヨリを戻すこともないだろう。自分はきっと、向こうで適当な男を捕まえなければならない。オサムとはもう、終わりだ。
 ナミエは様々な終焉を目の当たりにして、全てを投げ出したくなったのかな。それらを受け入れることはおそろしく難しかったことでしょう。彼女がトップアイドルを経験してしまったばかりに、汚れ役を演じなければならないことも、娘が”波に乗って”チャートを上り詰めていくことも、娘と夫が自分がかつて所属していた事務所で働くようになり、自分が除け者のようになることも……。彼女が絶望する理由は十分すぎるほどありました。

 ラストでオサムのダンスを見つめるナミエの内心については沢山解釈のしようがあるので、他の方の解釈も聞いてみたいな〜って感じです。私もまだ解釈が定まったわけではないですし……笑
 この作品自体、解釈が物凄く別れうると思っています。実際、他にブログ書かれていた方は随分と違う捉え方をされていたようでした。


 現実と妄想が入れ交じる舞台のため、どこまでが現実かは最後まで完全にはハッキリとしないのですが、「現実の現在のオサムの主観が混じって捻じ曲げられている」回想シーンはライティングが青く変化するという法則がありそうだったので、それを頼りに解釈してみました。
 もっとも、ナミエの自殺だとすると、刑事が冒頭で言っていた「ナミエは後頭部を刺され、腹部を刺され…」というのとオサムの回想(ナミエが腹を一突きして死んでいる)とが整合しないんですよね……。私は冒頭の説明もオサムの妄想だったのかな?と思うことにしましたが、ちょっと謎が残るあたりも面白いですね。

 

 

さいごに

大学の課題のレポート(3000字)にはひいひい言っているのに、好きな舞台について語るとあっという間に1万字を超えてしまう現象に名前をつけたい。長々と失礼しました。本当に素敵な舞台なので、なんらかの手段で観ていただきたいな〜と思います!!

 

※あと、この舞台を観て(およびブログを読んで)結構好きなタイプだな〜と思われた方、今敏監督の映画「パーフェクトブルー」がかなりお薦めです!アイドルという仕事、苦悩、芸能界の光と陰……たっぷり楽しんでいただけること間違いなしです。

 

 




24 とまと、推しの舞台を観に行く(その3)

コロナの影響で様々なイベントがオンライン配信に切り替わり、なかなか生のイベントに出向く機会がないまま、半年ほど経ちました……。いや、推しが画面越しに見れるのはめちゃくちゃ嬉しいのですが!やっぱり、やっぱり、推しの息遣いをその場で聞きたい……。

そんな中、運良く!アクセス!できて!!買うことの!!!出来た!!!!一枚のチケット……!!!!!!

渋谷PARCO劇場の舞台、「大地」のチケット。

どうしても推しの芝居を生で見たくて見たくて、一度払い戻しになった時は随分落ち込んで、先行販売で落選してまた落ち込んで、一般販売でなんとか粘り勝った一枚……。買えたときもう滅茶苦茶に嬉しくて、何度も何度も画面見て、ほんとに取れた……?って確認して、夢じゃない……ってぼーっとしてました。ただ、一緒に見に行く予定だった友人は他の日程でもチケットが取れなくて、手放しには喜べなくて……。
コロナは一回死んだほうがいい。っていうか殺させて?私に殺させて???5000000回殺すよコロナ……あんたを…………。

 

……そんな訳で、観ました大地。

最高の舞台でした。

カテコで、客席の大部分がスタンディングオベーションしてて。拍手の音が劇場に響いて、なんだかもう、それだけで涙が出そうになって。

 

とある共産主義国家。独裁政権が遂行した文化改革の中、反政府主義のレッテルを貼られた俳優たちが収容された施設があった。
強制的に集められた彼らは、政府の監視下の下、広大な荒野を耕し、農場を作り、家畜の世話をした。
過酷な生活の中で、なにより彼らを苦しめたのは、「演じる」行為を禁じられたことだった。
役者としてしか生きる術を知らない俳優たちが極限状態の中で織りなす、歴史と芸術を巡る群像劇の幕が上がる!

 

このあらすじだけ読んで、(めちゃ真面目だ……心して見るぞ……)と身構えていたら、まぁ笑いどころの多いこと!!

さすが三谷脚本と素晴らしい役者の皆様方。完璧な間、絶妙な動き。客席も、最初はふふふ、って声がちらほら上がっていたのが、話が進むにつれてどんどん笑い声が響いて。

 

こんなに大勢で一緒に笑ったのなんて、いつぶりだろう。なんて思ったら、笑いながらもなんだか泣きそうになりました。

 

でももちろん、面白いだけの舞台ではなくて。
印象としては笑い6:真面目4という感じでしょうか。
げらげら笑うと、ぐさっとくる一言が発されて、胸がぎゅう、となる。

今回はSocial Distance Versionということで、「コロナによって芝居をできなくなった世界」とリンクする部分が多かったのはもちろんのこと、香港において言論活動が著しく制限されている現状とも被る部分が多々あり、いろいろな社会のあり方や、人間の生き方について、思いを馳せずにはいられませんでした。

 

―芝居って、なんだろう。才能って、なんだろう。生きていくことって、生きがいって、なんだろう。

あんなにゲラゲラ笑って笑って、とあるシーンでは胸がじんわりして温かい涙が出そうになったのに。笑いすぎて痛くなったお腹と、拍手しすぎて痛くなった腕の疲労感のなか、私はぼんやりそんなことを考えていました。

 

私は涙もろくて、大体の映画や舞台、ライブで泣いてしまうたちなのですが、「大地」は泣きませんでした。
それはものすごく、ポジティブな意味で。
「大地」では、特別大きな感情の起伏は生まれません。私達は誰に感情移入するでもなく、彼らの生活を見守ります。だからこそお腹を抱えて笑えるし、色んな人達の生い立ちや立ち回りにそれぞれ少しずつ共感して、大きく社会全体や演劇界全体、ひいては人生について、考えさせられる。

心に大きな跡を残されました。それは、ブラックな笑いという形ではなくて、純粋な笑いの後に残された、置き手紙のような形で。

 

三谷さんと俳優さんたちに頂いた手紙は、この先何度も読み返すことになるんだと思います。素敵な手紙を、ありがとうございました。

 

面白かったので、もう一度配信で見ようと思います。本当はもう一度生で観たいところですが(最後列だったので……)、是非少しでも多くの方に生で観ていただきたいので……!
配信チケットは当日の開演時間まで購入できますので、ぜひ!!!本当に面白いです、間違いないです!配信でも絶対に楽しめます!!

 

 

 

ネタバレ感想はこちら。ただただネタバレを叫んでいるので、未鑑賞の方は絶対に読まないでください。

 

 

大地 感想(ネタバレの嵐)

大地を観た感想を文字にのこしておきたくて書いています。ネタバレしかない。ヲタクが叫んでいるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレします。

 

 

 

 

 

ネタバレします!!!!!!!

 

 

 

 

 

いいですか????????

 

 

 

 

 三谷脚本、秀逸すぎた……。こんなに舞台って笑えるんだ、っていう嬉しい発見。
俳優さんたちの間のとり方がどれも凄く素敵で、余す所なく笑えました。すれ違いのお芝居もパントマイムも技が光っていたし、伏線回収がどれも爽快だった!さすが、こんなに面白い脚本が書ける方が同じ時代に生きていらっしゃることに感謝です……。

 今回いちばん何が胸に残った?と聞かれれば、間違いなく一幕のラストですと答えます。

いや一幕ラスト、天才でしょ……。あんなにあったかくて美味しそうな食事のシーン、今までどんな映画でも舞台でも観たこと無かった……。あんなのみせられたら、「俳優って、最高!」としか言いようがない。私は多分、あのシーンを一生忘れない。ミミンコがあのとき食べた料理の味を忘れないように。

そしてあのシーンのチャペックの虚しさよ……。後ろで、一瞬グラスか何かを手にした演技をして、でも輪に入れなくて、遠巻きに見てるしかなくて……。ゆでたまごにライトがあたる演出、泣きそうになった……。

チャペックの座っていない椅子にライトがあたるところでも胸が苦しくなった。哀しいライトだった……。


でも、なんというか、「ある」んだよなぁ……。才能だけではやっていけない人間は、多少の裏の顔を使ってでもなんとか生きていこうとする。私には、チャペックとして生きた瞬間が、チャペックとしてゆでたまごをひとり寂しく食べた瞬間が、何度もある。あのシーンは本当に、色々と重なって辛かった……。結局、どっちつかずのコウモリとして生きていると、平和な間は美味しいとこ取りできるけど、トラブルが起きた時に真っ先に切られるんですよね……世の常なのかもしれない。

いやでもチャペック……。観劇し終わってから、私はずっとチャペックはどうすればよかったのだろう、と考えずには居られなくて。
チャペックは自分が演技できなくても芝居の世界には居続けたくて、なんとか演出の手伝いとかまでしてしがみついて。それで、あの施設に送られてもなお、役者とともに芝居に携わることに拘りつづけた。
彼が施設に残ったのは、確かに大役者たちと対等に話せる空間が嬉しかったのもあるだろうけど、芝居ができる環境だったから、というのも大きいんじゃないだろうか。だって、施設から出られても、そこに広がっているのは芝居を禁じられた世界なんだから。
彼にとっての幸せって、なんなのかなぁ。彼はひとりでゆで卵を食べながら、どう思ったんだろう。なんとか皆からの信頼を得たくて、必死に段取りを考えたんだろうか。考えれば考えるほど切なくなってしまう……。

芝居上手くなればよかった、と言い切ってしまってはいけない気がするのだけど、でもどうしてもそう思ってしまう。でもそれって、生産性のない人間は社会から切り捨てていい、っていう恐ろしい思想の現れなんだよな……。
チャペックがどうすべきだったか、というのは、なんというか、人生における永遠の課題のような気がする。自分は何かで能力が突出しているタイプではないから、色んなタイミングで彼のような立場にいつの間にか立ってしまっている、と、思う。
ゆっくり、じっくり、考えていきたいです。

 

あとラストはもう……ビッグフィッシュのラストみたいな、ラ・ラ・ランドのラストみたいな、ああいう演出はダメです!!!!!!!泣きそうになってしまいます!!!!!!!!
幻の劇団、広大な大地の片隅で男がこっそり夢見た幻想。夢だからあんなに愉しげなんですかね、胸が苦しくなってしまった……。


 

さて。推しの話をしてもいいですか……。

はぁーーーーーーー、大泉洋さんが可愛すぎる。無理。天才的に可愛かった……。

えーーー。チャペック、ドア開け締めするたびに片足がちょこんと上がるの、なに!?!?めっちゃ可愛いんですけど……チャペックさんは一人称が「わたし」なのに、たまに語尾が「……ぜ」になる(「料理が冷めちまうぜ」みたいなの)があんまりに天才的に可愛かった……。
あとメンバー一丸となって騙すシーンで、団長の芝居観て泣いたりさ……。自分の芝居が下手すぎてうずくまるところも可哀想可愛くて笑ったし、「いっぱち!?」とかいう大泉ファンしか分からない小ネタをはさんできたのも笑った。

それにしても追い詰められたチャペックよ……。乾いた笑い、まさに「傑作だ」という感じ……。
チャペックの弱いところ、強いところ、いい人なところ、わるい人なところ、全部がいい塩梅でにじみ出ていて素敵な演技だった……。
公開されていた動画では、もっと「裏の顔を持つリーダー」みたいな感じなのかと思っていたら、だいぶあっさりしたテイストの演技になっていて、それがちょうど良かったんですよね。パンフのお言葉を借りるなら、「心にすとんと落ち」てきた感じで。
いや〜笑った、ほんとに笑った。大泉さんの間のとり方はやっぱり天賦の才……すごく自然で、すごく心地良い。大泉さんの沼の深さを感じました……。

 

今回は最後列だったから、次はもう少し近くで観劇できるといいなぁ。
久しぶりにブログ書いたのですが語彙力の低下を痛感しました。もっと日本語に触れようと思います、いや〜はやく次の舞台観に行きたいな!最高の演劇体験でした。

 

23 とまと、推しの舞台を見に行く(その2)

ボイメンのイベントがことごとく試験と重なり、ネット上で動画ばかり見てボイ充していたのですが、さすがに生で見たいな……と思い、舞台を応援しに行くことにしました。そして取れましたRED公演千秋楽!!!推しが主演張ってる舞台を見に行けるというのは嬉しいものですね……。

 朝からこんな、辻本らしさ全開のブログ読んで、「辻本さんのことがあまりにも推せる……今日もめちゃめちゃ応援するっっ!!!」という気持ちで向かったサンシャイン劇場

 

号泣!!!!!!!!!!!

涙ボロボロに溢れた………………………

こんな最高な世界あります!?!?

ボイステこの世に存在してくれてありがとう本当に来て良かったですありがとうこざいました泣

踊りも歌もカッコいい、笑えるところは声出して笑える、ぜんぶ応援したくなる、フォーチュンありがとう……。こんな才能の塊を見つけてくれてありがとう……。

そしてボイメンの皆さん……諦めなければ夢は必ず叶う、を色んな形で見せてくださってありがとうございます。私も明日から頑張ろうって、ボイメンのイベントに行くたびに力を貰ってます。感謝しかないです。生きててくれてありがとうです…………号泣

 

↓↓ここからはネタバレです↓↓

私が弟分グループについての知識ほぼ無いせいで、ボイメンの感想が多くなってしまいますが……!

 

劇場に入ると既にレーザーライトが客席を照らしている……!始まる前から、アイドルの舞台なんだなぁというわくわくで胸がいっぱいです。

中原さんと米谷さんのアナウンス、「鳴り止まない拍手をありがとうございます!!」と仰って会場が笑いながら拍手してたのハートフルで最高でした……「手相が取れるくらいまで!!」かわいい……。

 

そして幕開け。

 

ここからは朧げな記憶ですが!あと舞台良すぎて語彙力死んでますが……。

 

・たむたむのサービス精神爆発しすぎてて最高だし笑いかっさらいすぎて流石だった!「国!際!線!」って言いながら毎回ダメージ喰らうとこ可愛すぎましたね……。

ご本人の人たらし力が役柄にもにじみ出てて、最強の配役でした。舞台袖で演者の歌と一緒に盛り上がってるところ可愛かった……。

・ゆとりの歌唱力…………。もはや四季かなって…………。グローリーズはスポットライト浴びて踊ったり歌ったりするのですが、とにかくどのシーンも圧倒的実力で鳥肌立ちまくりでした。吉原さんはなぜあんなにしなやかに動くのでしょう?なぜ平松さんのビブラートはあんなに強く心を揺さぶるんでしょう!?

・勇翔さん、台詞こそ少なかったものの、ラストの客席からの声かけの重み凄かったです……あとたむたむに転がされる所の受け身が完璧すぎた。笑

・本田さんの間の取り方が最強すぎて、千鶴登場シーン漏れなく笑った。そして造形がパーフェクトすぎる。

「目をいじり、鼻をいじり……」いや、整形でそんな美しいお顔になれるならします(???)。

階段を降りる時の足捌きが完全に美人のそれだった。

・序盤で急にラップバトル始まって、ヒプマイじゃん!?になった……。そして祭nine.さんラップスキルめちゃ高くない……???そのまま祭ディビジョンになれるよ!?!?

・横山さんの悪そうな歌声がカッコ良すぎて軽率にファンになりました。めちゃいい声……。

・三隅さん脚長過ぎませんか!?!?階段駆け上がる時ガン見してしまった……長過ぎて世の中のズボンで彼のサイズに合うものがあるのか心配……。

・キラジェネのタクトとショウヤの衣装が、色味とか造形がシンメになってるの最高なんですよね……。すれ違って、最後は団結する……君たち、売れるよ(誰?)

・選挙運動の手伝いするんだ!って誤魔化す時の辻本さんが手をぐっ!ってするところ可愛かった……

・助手、監督、演出が袖で起こすドタバタとか、必死に舞台見守ってるところの表情がいちいち可愛かった……。私今日、かわいいしか言ってないですね……いやほんと、可愛かったんです皆……。

・佐藤さんとたむたむがめちゃめちゃ接近したり仲良くダンスするところ笑すぎてしんどかった。コミカルムーブ愛おしいです……世界平和……。

・上演前のシーンで、キラジェネのメンバーに「リラックスしな!ほら、こんな感じで。」って感じで脱力して見せる吉原さん萌えの極みだった……

・辻本さん推しなのでどうしても長くなってしまうのですが……まず、前述の通り喉の手術のブログを朝に読んでいたものですから、もう登場して歌ってるだけで、ハスキーボイスで「行くぜ!」って叫ぶだけで、がんばれ、がんばれ……!って前のめりになっちゃうんですよ。そして、ライトを浴びて、赤メッシュの入った髪をばんばん揺らしながら、すっごく楽しそうに、力強く歌って、踊って、周囲を説得する訳なんですよ……。ずっとずっと、一挙手一投足に、私は泣きそうになってて。たまに声張って目が> <こうなっている時とか、ほんと拳握ってましたよね。えぇ。いけぇ!!という気持ちになり……。えぇ。ディズニー風味のミュージカルパートめちゃめちゃ似合ってました……。あと、作中で一真に剣を持たせてくださったどなたかに!私は!大感謝祭を開きたい!!!!推しが剣を振り回している姿を見れたんですよもうもうもう……ありがとうございます一生感謝。剣捌きよかった……世界サイコー……。

・驚安の殿堂のテーマソングとか、サンシャイン繋がりの芸風とか、とびらを開けてみたりとか、パロディ随所に散りばめられててめちゃ良かったです。

・いや、なんか、ファンがこんなこと言っていいのか?って思われるかもしれませんけど、途中まで、(いや皆主張変わりすぎでしょ……)とか(プロなんだから仕事しろよ……)とか冷めた目で見ちゃうとこがあって。でもラストに向けて、無茶苦茶なやり方でも続けようとする一真に触発されて周囲も協力的になるのにつれて、観客である私もいつのまにか一真のひたむきさに心を打たれていて。ラストのタクトのアドリブ、気付いたら泣いてました。本当は「アイドルが現実を見る」ことが二重構造になっていた舞台、それが「諦めないことを説き続けた男が、駄目になりそうだった全てをひっくり返す」ことが三重構造になる舞台になる。しかもそれは、諦めなかった男が1人で成し遂げたことではなくて、諦めなかった男が周りに影響を与えて、結果として皆がその方向を向くというやり方で。「舞台は1人で作るものじゃないんだから」というのは一真がタクトにかけた言葉であり、同時に全員に、そして一真に向けられた言葉だった……。最高ですねほんと……。

一真とタクト、一真と弟のやり取りはどれもびりびりと感動して。

ラストで弟が兄の味方についたシーン、辻本さんは泣いていたように見えました。なんだかそれは、一真としての涙なのか、ご本人の涙なのか、そもそも泣いているように見えただけで、泣きそうな演技だったのか、私には分かりませんが、あの辻本さんの表情に、全部の心がぐらぐら揺さぶられて、私も涙がぽろぽろ溢れていて。上手く言えないんですけど……ボイメンも祭nine.もがんばれ……!!!!になりました。

 

・今回の脚本、アイドルが偶像としてではなくて「現実を見ていない人」として描かれていて、ファンとしては不思議な気持ちでした。私たちは推しのことを、どうしてもアイドルとして見てしまって、裏にある人間性を知ることはできなくて。偶像と自身のギャップに苦しむのかなぁ、とか勝手に想像してたんですけど、周囲から地に足がついていないって評価される苦しみもあるのか……なんて、ちょっと切ない気持ちになりました。こんなに演じる側の気持ちをえぐる脚本もないよなぁ……とか思ったのですが、だからこそ渾身の演技が生まれたのでしょうか……。演者との相乗効果でめちゃくちゃ感動する、凄い展開でした。

・カテコ後のアンコール(?)で一真とタクトがヘドバン対決してたの可愛かった………。

 

そしてカテコ!!!伝説のカテコ!!!

まず、寺坂さんのコメントがほんと〜にリーダー!って感じの、応援したくなる感じのしっかりしたコメントで、祭nine.ほぼ知らない私でしたが、頑張れ!!!!って思いました。

 

それでそれで!!!辻本さん!が!!!

「RED公演、千秋楽まで……」あたりで涙声になって、会場から笑いが起こって。メンバー達「笑うとこ!?」みたいな反応で、また会場が笑いに包まれて。

泣いてる辻本さんに、たむたむが「会場の皆さんも一緒に泣いてくれるかも」みたいなフォローしたら、

「まぁ、それはどっちでもいいんだけど」とまさかの塩対応。かわいい……。

そして、一旦涙がひいてまた喋りだして、「最後のシーン演じてて、自分がこの仕事まだ出来ることがほんと奇跡だなって」みたいなことを言いながら、また泣き出してしまって、涙ながらに

「なにこの状況!?」でまた会場爆沸き。

かわいい…………………………。泣きながらひとりツッコミ……………………………。語彙では表せません。推しが公演が終わることをこんなに悲しんでいて、推しがアイドルをできていることに奇跡を感じて、そして泣いている……ライトを浴びながら、観客の笑いと涙に包まれて、立っている……。「RED公演に涙は似合わないので!笑顔でお別れしましょう!」って締めようとして突っ込まれるところも愛嬌……今日も推しは天才……。

最後、辻本さんが舞台上のメンバーに向かって「ずっと俺についてきてくれて……いや、ついてきてくれたかは分かんないけど、(たむたむが「自信持って、一応ついて行ってたよ!」とフォロー)、ずっと一緒にいてくれて、ありがとう!」と声かけていらしたのがすっごく印象的で。あーー。推しが今日も最高です。「いっしょにいてくれて」ありがとう、というワードチョイス、大正解すぎます。応援します辻本さん……!!

 

ボイメン応援しててよかった、辻本さんを好きでよかった、今日来れてよかった。本当に素敵なステージを、ありがとうございました。

 

辻本さんが手術されて、その復帰舞台がこれだったということに運命のようなものも感じつつ、また次の手術を経て辻本さんが活躍されるのを楽しみにしてます。手術、がんばってください、待ってます!